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彼の声

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彼の声 2017.5.22 「事物の真の姿」

2017/05/22

 見えているものが見えていないのは、それ
以外の何かが見えているからだろうか。それ
が何かの幻影であり、そんな幻影が視界を覆
い、見えているものを見えないようにしてい
るのだろうか。それでも見えているはずなの
だが、それが見えていることを意識できない
のかもしれず、ではその代わりにどんな幻影
を見ているのかといえば、そこで見えている
ありのままの光景を恣意的に解釈しているだ
けなのかもしれず、それは幻影でも何でもな
く、単なる勘違いな思い込みに過ぎないのか
もしれない。そう思い込まないと、安心して
見ていられないのであり、勝手な解釈を通し
てしか見ることができないのだから、それは
ある種の心の病かもしれないのだが、ある種
の集団にとってはそうやって見るのが当たり
前のことなのかもしれず、それがその集団に
とっての規範であり、それが当たり前だと思
うような環境がそこに形成されていて、そん
な環境の中に身を置いて見ると、そう見えて
しまうのであり、それは心の病というよりは、
身の回りの環境がそんなふうに見させている
と捉えるべきかもしれないが、では見えてい
るものを見えているように見えるようにする
にはどうすればいいのだろうか。そこで規範
として共有されている人々の思い込みを取り
除けば、見えるようになるのだろうか。ある
いはそんな思い込みをもたらしている環境を
変えれば、思い込みを取り除けるのだろうか。
しかし環境を変えるにはどうしたらいいのか。
たぶん変えるための有効な方法がないから、
環境を変えられないのであり、しかも時には
変えられない環境が変わることもあるわけで、
なぜ変わるのかは、実際に変わってみなけれ
ばわからないのかもしれず、人はその身を取
り巻く環境が変わった後からでしか、それが
変わったことを実感できず、実感して初めて
その原因を究明しようとするのであり、それ
は変わる前にわかるようなことではなく、わ
からないからこそ、いつも決まって的外れな
予言に惑わされ、そんな予言を信じることで、
その予言がもたらす幻影に囚われてしまうの
ではないか。

 だが果たしてそれは予言なのだろうか。予
言だと思えなければ何なのか。臆見の類いだ
ろうか。悪く言えばそうかもしれないが、良
く言えばそれは預言であり啓示なのではない
か。そして実際にそれを信じる人にとっては、
そうしなければならないことであり、それは
これからやらなければならないことを示すよ
うな何かかもしれず、その何かが目的となっ
て、そんな目的にとらわれている間は、やは
り見えているものが見えていないのかもしれ
ず、目的がそれを見えないようにしているの
ではないか。しかしなぜ目的に従うように仕
向けられてしまうのだろうか。自らの内に生
じている欲望がそう思わせるからであり、そ
んな欲望にとらわれているからか。未来に欲
望の対象があるように思われ、そこで真理が
啓示されることを期待しているのであり、そ
んな真理を求めることこそが、今ここで知る
べきことだろうか。それを宗教だと言ってし
まえばわかりやすくなるのだろうが、それで
は単純化し過ぎていることになるのかもしれ
ず、たぶんそれは宗教のような何かであり、
既存の宗教とは少し程度の違う信仰なのでは
ないか。それがあまり大げさなことではない
にしても、それに接することで何か予感がす
るのかもしれず、そこに事物が真の姿を見せ
ていて、その真の姿が何かを予感させるのだ
が、その予感を今ここにいる自分に重ね合わ
せてしまうと、何かが啓示されているように
思われるのであり、そんな啓示に従うことで、
これからやらなければならないことが決まっ
てしまうわけだが、しかし事物の真の姿とは
何なのか。それを見ている意識とは隔たった
何かかもしれないのだが、意識はそうは思わ
ず、意識にはそう意識している自らと関わり
のある何かとしか見えず、関わりがあるから
こそ見えているのであり、見えているからこ
そ、見えているという事実によって関わりが
あるように思われてしまうわけだが、人はな
ぜ自らに関わりのないものまで見えている事
実を認められないのだろうか。別に認められ
ないわけではなく、ただそこに意識が向いて
いるということは、それに興味を持っている
ということであり、興味があるということは
自らに関わりがあるように思われるわけで、
意識には興味があるものしか見ていないよう
に思われるが、実際には興味のないものまで
見えていることは確かで、それを意識してい
ないだけなのも事実だろうし、それに興味を
持ってしまうことが、そこで形成されている
集団の共通の了解事項としての規範に従って
いることにもなるわけで、それとは違う真理
があるとすれば、それが事物の真の姿であり、
人が興味を持たないようなものまで含まれて
いるのが、真理としての事物の真の姿なので
はないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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