文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.5.15 「共通の了解事項」

2017/05/16

 自分の意思ではどうにもならないことは、
自分では制御できない現象なのだろうが、自
己の内外で起こっているそれらの現象に、自
己が巻き込まれていると感じるのは、そこに
何らかの認識が生じているからだろうし、そ
んな出来事の中に自分がとらわれていると感
じるのだろう。欲望は自己の内からも外から
もやってくるように感じるが、なぜそれをや
りたいと思うのかは、そこにもっともらしい
理由をつけることが可能かもしれないが、本
当のところはよくわからないのかもしれず、
それを言葉で説明しようとすると、うまく説
明できないように思われてしまうが、別に取
り立てて理由を求めているわけでもないだろ
うし、いちいちやりたいことを説明する気に
はなれないだろうが、その必要が生じた時に
は、何とか説明しようと努力するだろうし、
実際に何かを告白する機会が巡って来れば、
何やらそんな要請に導かれるがままに、それ
らしいことを語り始めるのではないか。しか
しそれが本当にやりたいことの説明なのかと
いえば、何となくその場の成り行きで、何か
もっともらしいことを語っているに過ぎない
のかもしれず、その全てが口から出まかせで
あるとも思えないが、その場の事情や都合に
合わせて、信じてもらえるようなことを語ろ
うとしていることは確かで、そんな他から信
じてもらえるような理由というのが、世の中
で共有されている共通の了解事項とも言える
ような類いなのかもしれず、こういうことを
やりたい時には、こういうふうに思うものだ
ということを、その理屈や因果関係を世の中
から学んでいる可能性があり、それが場合に
よっては紋切り型的な返答ともなってしまう
のだろうし、他の誰もが安心して納得できる
ような答えが用意されていて、それを選んで
答えてさえいれば、他から怪しまれることも
ないだろうし、別に気が狂っているとも思わ
れないだろうし、そういう受け答えが自然と
身についていれば、社会の成員として認めら
れるような成り行きとなるのかもしれず、そ
こで何をやろうとするにしても、実際に何を
やっているにしても、そのやろうとしている
ことややっていることともに、そうする理由
までも、世の中からもたらされているとすれ
ば、ではそこで個人の自発的な行為というの
がありえないのかといえば、要するにそんな
ことまで考える必要はないということだろう
か。

 その何だかわからないが何かをやっている
ことについて、とりたてて説明する必要を感
じない時には、それで済んでしまうような成
り行きの中で何かをやっているのだろうし、
その必要が生じている時には、たぶん他人と
連携しながらやっていることが多いのかもし
れず、一人で何かをやっている時であっても、
他の人と何らかの意思疎通を図る必要が生じ
ている時には、やっていることの説明が必要
だと感じられるだろうし、そこで何らかの共
通の了解事項がなければ説明することができ
ないから、それを用いて説明せざるをえなく
なるわけで、そんな意思疎通をもたらしそう
な理由というのが、そこでの社会的な関係か
ら導き出されるのではないか。それが他者と
の相互依存関係なのかもしれず、他者が納得
できそうな説明が求められていて、説明でき
るようなことをやっていないと、他者を納得
させるには至らないだろうし、そんなふうに
して世の中でやれることが、おのずから限ら
れてくるのだろうが、そこで一概に利益を求
めてそんなことをやっているとは言えないの
かもしれず、個人や集団の利害を超えて、あ
るいはそれらの利害とは無関係にやっている
こともあるのかもしれず、ではそれ以外で何
のためにやっているのかというと、例えばそ
うすることが正しいからやっていると言えば、
果たして他が納得するだろうか。たぶん他者
と共通の正義を共有しているとすれば、その
他者は納得するだろうが、共有していなけれ
ば納得はしないだろうし、その正義というの
が広く社会的に認められているのかとなると、
そうすることがなぜ正義なのかを説明しなけ
ればならないだろうし、その説明が納得でき
るようなものなら、とりあえず納得はするだ
ろうが、果たして他の何よりもその正義が優
先されるのかと言えば、時には正義よりも利
害が優先されることもありうるし、世の中で
は正義と利害が一致しない場合が結構あるの
だろうし、だからこそ社会には不正義や悪徳
が蔓延しているとも思われるのだろうが、さ
らに正義や利害とは別の何かが優先されるこ
ともあるだろうし、あるいはその場の気まぐ
れで何かをやっている場合は、何が優先され
ているわけでもないことにもなるだろうし、
それで構わないならそれで済んでしまう場合
もあるわけだ。それが社会に広く深刻な影響
を及ぼしそうなことなら、少なくとも気まぐ
れでやるようなことではないだろうし、やっ
ていることの種類に応じて、何を優先させる
かが決まってくるのかもしれないが、正義や
理性が優先されなければならないのに、特定
の利害や欲望が優先されているように思われ
れば、やっていることに対して批判や非難が
されるような状況ともなるのだろうが、そこ
で何が優先されるべきなのかも、やはり世の
中で共有されている共通の了解事項であれば
いいわけだが、そこに対立や敵対関係が生じ
ていると、何を共通の了解事項とするかで争
われている状況もあるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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