文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.4.28 「自己犠牲」

2017/04/29

 法律の類いが誰のためにあるのかというと、
一応は国民のためにあるということになるだ
ろうが、国家のためにあるともいえるし社会
のためにあるともいえるだろうか。それらす
べてを含めて国民が法律を守り法律に従うこ
とによって、何が実現するのかといえば、そ
れによって社会の秩序が保たれているように
も思えるのだが、その一方で法律を守らず法
律に従わない人たちも少なからずいるわけで、
そういう人たちに言わせれば、守れないし従
えないのだから仕方がないということにもな
りそうだが、法律を守れず法律に従えない事
情というのが、どこから生じるのかといえば、
社会の中で生きているとそういう成り行きに
なってしまうこともありうるわけで、法律に
違反することが必ずしも不可能ではない場合
が生じていて、それが現状で法律違反が後を
絶たない原因となっているだろうし、そんな
状況に対応して実際に法律違反者を取り締ま
ったり、組織的に違反する団体を摘発する警
察機構が必要となってくるわけだろうが、そ
れは法律を制定したことから生じる必然的な
成り行きといえるだろうか。社会の秩序を保
つには法律の制定が欠かせないし、いったん
法律が制定されれば住民に法律を守らせるた
めに必要な何らかの機構が必要となり、それ
が警察機構となるわけだが、そういう次元で
考えればそんなことは当たり前に思われてし
まうわけで、そこに異議を挟む必要はないよ
うに思われてしまうだろうが、その法律が果
たして社会の秩序を守るために適切な内容と
なっているかについては、人々の間で見解の
別れるところかもしれず、また違反を取り締
まる側の警察機構の在り方や、法律違反の有
無を判断する司法機関の公正中立さについて
も、それを批判しようとすればいくらでも批
判できるような不十分さが指摘されるところ
だろうか。

 そんなわけで法律の内容や警察機構や司法
機関の至らなさを指摘する人が後を絶たない
現状があるのかもしれないが、それはそれら
の制度の存在を前提とした批判であり、まさ
かそれらの制度の存在そのものを批判する人
は滅多に現れないだろうし、現れたとしても
社会の主流を構成する人たちには相手にされ
ないのかもしれず、批判したところでどうな
るようなものでもないだろうし、行政だろう
と立法だろうとそんな批判が活かされるよう
な制度的な支えがないわけだから、そんなの
は無視されて当然なのだろうが、やはり批判
することはできるのだろうから、法律違反が
可能であるとともに、法律そのものやそれを
取り巻く制度に対する批判も可能なのだから、
それらの制度の存在を自明視すること自体に、
それほど絶対的な根拠があるとは思えないし、
その有効性を疑問視するのも当然のことかも
しれないが、そこには制度の存在を前提とす
る人々に対する反感も混ざっているのだろう
し、そういう感情も含めて荒唐無稽に考える
分には、それらの制度をなくすにはどうした
らいいか、という設問設定を考慮に入れても、
それほど狂気の沙汰ではないのかもしれず、
実際にそんなことについて考えている人がい
ても、それはそれでそれなりにありうること
なのではないか。そう考えることが目に見え
るような具体的な成果となって現れることは
稀かもしれないが、そんなふうに思考を巡ら
していく過程で、思いがけないところから人
が気づかない社会の仕組みや構造が解き明か
される可能性もありそうで、そういうことが
明らかにされてしまうと、制度の存在を自明
視している人たちも考えを改めざるを得ない
場面も出てくるのかもしれず、そんなところ
から何らかの社会変革のきっかけが生まれた
ら、あからさまな抵抗や対立も回避できるの
かもしれないのだが、それも一つの可能性で
しかないだろうし、今のところは具体的に何
をどうこうするような話には至っていないの
かもしれない。

 社会は様々な制度や慣習から成り立ってい
るように思えるのだが、それを社会と捉える
ことからそこに社会があるようにも思われる
わけで、現実に確固たる存在がそこにあるわ
けでもなく、はっきりとした枠組みが構成さ
れているわけでもないし、それは国家にも言
えることなのかもしれないが、実際に国と国
とを分かつ国境線を定めて、その枠内に法律
の網をかぶせて統治していることになってい
るわけで、そんな状態をその枠内で暮らして
いる人たちが認めていることを前提として、
国家が成り立っていることになるわけだが、
それ自体を疑うことは制度や慣習を守り従う
人たちには考慮されないことなのだろうし、
彼らにとっては意味をなさない疑いでしかな
いのかもしれないが、疑う必要もないのに疑
う成り行きになってしまうわけだから、そう
する理由は定かではなく、今後何かのきっか
けで理由が明らかになることもないのかもし
れないが、疑問を持ち続けていた方がいいの
かもしれず、逆に何の疑いも抱かずに信じき
っている人たちの方が危ないだろうし、国家
を信じて疑わない人は国家のために人を犠牲
にしたがるし、法律を信じて疑わない人も法
律のために人を犠牲にしたがるし、では人の
存在を信じて疑わない人は、人のために人を
犠牲にしたがるのかといえば、ある意味では
その通りなのかもしれず、それが国家であれ
法律であれ人間であれ、何かそこに理想的な
枠組みを設定したがると、その枠組みから外
れた存在を排除したり矯正したがるのだろう
し、そうする過程で権力を行使しようとする
のだろうが、その権力がどこから生じている
のかといえば、そのような信仰を共有する集
団心理から生じているのかもしれず、そこに
人と人とが連携するネットワークが構築され
ると組織的な力が生じて、その力を利用して
組織内で共有されている掟を守らせようとす
るわけで、場合によっては掟に従わない人に
制裁を加えたりもするし、他の人たちを組織
内に取り込もうして勧誘活動を始めたりもす
るのだろうが、そこに確固たる基盤がありえ
ないからこそ、それを定めようとするわけで、
具体的には国家の起源や法律の公正中立さや
人間の存在を自明視したがるのだろうが、な
ぜかそれを信じれば信じるほど、それらを完
璧なものへと矯正しようとするほど、自分た
ちの方が犠牲を強いられてしまうのではない
か。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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