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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.4.12 「理想社会」

2017/04/13

人知を超えた力の作用を意識するとき、
人によっては神の存在を確信するかも知れないが、
何かの偶然が作用してたまたまそうなったと思ってみても、
それなりに納得できるかも知れず、
何か思いがけない出来事に遭遇したときには、
偶然の巡り合わせで片付けてしまえば、
それ以上は事の因果関係を詮索しなくても済んでしまいそうだが、
遭遇した出来事に巻き込まれて深刻な事態に直面してしまうと、
そうなるのが自らの必然的な運命であるかのように思い込んで、
直面している事態に対処することが、
自らに課せられた使命だと確信するような成り行きともなれば、
やはり神の導きによって
試練を課されていると思われるかも知れないし、
そういう面でその人がいかに深刻な事態に遭遇するかが、
心身に及ぼす影響の度合いや、
それが信仰に結びつくとすれば、
その強度を決めるのではないか。
聖戦が神の正義を実現する場であるように、
日々の日常が神への信仰が試される場であるとするなら、
信徒が神への信仰を証明するには、
その宗教が規定する戒律に
ひたすら盲従するしかないように思われるかも知れないが、
そこで試されているのは従順な信徒を演じることであって、
型通りの祭式を執り行うことであり、
そのような祭式を通して
同じ型通りの動作を共有する者同士で一体感を確認し合い、
お互いの絆を強め合うことになるのだろうが、
神に対する信仰の強度という点から見るならば、
真の試練はそれとは別の機会に試されるのかも知れず、
例えばその神を信じたばかりに悲惨な状況に陥ったとき、
信仰を捨てるかそれでも神を信じるかの
二者択一の機会が巡ってくるわけで、
そこで信仰を捨てずに殉教するような成り行きになれば、
周りの人々に多大な影響を及ぼして、
その信仰が社会の中に広まるきっかけともなるのかも知れないが、
そのような殉教が伝説となって
人々の間で語り草となるような機会が、
果たして現代社会においてあり得るのかといえば、
たぶんほとんどないだろうし、
あるのは型通りの祭式を日常の中で執り行うことでしかなく、
それ以上の行為を求めるとなると、
狂信的な信徒と見なされて、
宗派からも社会からも逸脱してしまうだろうが、
そのような逸脱こそが神による試練を構成しているのかも知れず、
宗派からも社会からも除け者扱いされても、
それでも信仰を捨てなければ、
神への信仰の強度が高まるのではないか。

それが神への信仰であれ、
あるいは社会の中で行われる何らかの行為であれ、
何か特有の試練を経ないと、
やっていることの強度が高まらないのかというと、
もしかしたら何かをやれば必ずそうなってしまう成り行きがあって、
そんな試練に直面しないような世の中があるのかといえば、
普通に人々が求めているのは、
試練を回避する方法なのかも知れず、
例えば何らかの宗教が規定する戒律に盲従していれば、
試練をくぐり抜けるような危険を冒さなくても、
何不自由なく暮らして行けるのなら、
多くの人が喜んでその宗教の信徒になるかも知れないし、
別にそれが宗教でなくてもベーシックインカムのように、
国から必要最低限の生活が営めるだけの資金提供を受けられるなら、
喜んで国に忠誠を誓うかも知れないが、
そういうこととは別に
社会に何らかの試練を課す仕組みがあるとすれば、
当然そこで何らかの選別が行われていて、
その試練となる選別をくぐり抜けた者だけが、
何らかの特権的な資格を付与されて、
社会の中で特別な地位や立場を得るに至る制度の類いが
あることになるだろうし、
一方では試練を介さずとも生きられる方法への模索と、
もう一方では試練をくぐり抜けた者だけが、
特別な待遇を受けられるような社会の実態があるとすると、
そんな世の中の両義的な傾向に対して、
どのような解釈を施せばいいのか、
ということになってくるかもしれないのだが、
たぶん試練をくぐり抜けたエリート層が考える
社会の理想というのが、
宗教的な戒律に大衆が盲従しているような社会の姿なのかもしれず、
そのような戒律よって規格化されて同質となった一般大衆を、
少数のエリート官僚たちが指導しながら管理すれば、
誰も文句も言わずに刃向わないような
均質化された社会が実現するのかもしれないのだが、
本当にそんなことを考えて実行しようとしている人たちが
いるかどうかはわからないが、
国民国家の理想を追求していくと、
おのずからそういう方向性が出てくるのかもしれず、
もしかしたらそれと意識することなく、
知らず知らずのうちにそんな方向を目指していることに関して、
ほとんどの人は気づいていないのかもしれないが、
そんな傾向があるからこそ、
それと自覚せずに結果的にそういう傾向に刃向かう人たちが、
少なからず出てきているのではないか。
なぜそうなってしまうのかといえば、
エリート層が思い描く理想社会が退屈に思われるからだろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
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