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彼の声

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彼の声 2017.4.6 「存在の時間」

2017/04/07

言葉が始まりも終わりもない時間の中でつぶやかれているとしたら、
それはフィクションとなりそうだが、
別にそうなることについて、
確固とした理由があるわけでもなさそうだ。
なぜフィクションの中でつぶやかれている言葉には
始まりも終わりもないのかといえば、
そんなフィクションを想定しているからだろうが、
そこに何らかの内容が示されるようなら、
その内容はまだ定まってはおらず、
これから記される言葉の連なりによって明らかにされるだろうか。
しかし未だその内容が空虚のままにとどまるにしても、
何かしらつぶやいているように装う必要が生じているのかも知れず、
それは記された文章の中で語られるはずだろうが、
そこで何をつぶやいているにしても、
誰かがつぶやいていなければならないとしたら、
誰かがつぶやいていると言葉で記される必要が生じるだろうし、
それがそこで構成されるフィクションの真実になるだろうか。
それが真実だと設定されるならそうだろうが、
実際のフィクション内では誰もつぶやいていないのに、
語り手が嘘をついているように設定されている場合もあるだろうし、
そうだとすると今度は語り手が
そこで誰かがつぶやいていると嘘をついていることが、
そこで構成されるフィクションの真実になるだろうか。
そんなふうにしてフィクション内では
自在に真実を構成できるかも知れないが、
語り手がそれを語っているように構成されるフィクションでは、
語り手が何を語っていようと、
語っていること自体はフィクション的な真実になりそうで、
そんな虚構がもたらす真実とは、
記された文章の中で誰かが何かを語っているということになるだろう。
そういう水準では確かにそうかも知れないが、
それを読んでいる水準では、
フィクション内で語っている語り手は虚構の存在であり、
フィクション内で経過する時間も虚構の時間であって、
実際にそれを読んでいる自らが現実の存在であり、
読んでいる時間が現実に経過する時間となるだろう。
そうだとするとフィクションの中でつぶやかれている言葉には
時間そのものがなく、
ただそこにつぶやきの言葉が記されているだけで、
読者がそれを読んでいる間だけ時間が経過して、
読まなければ時間の経過などありえないのだから、
やはりフィクション内では
無時間的なつぶやきが記されているに過ぎないだろうか。

そんなわけで始まりも終わりもない時間とは無時間であって、
現実には始まりも終わりもあるからこそ時間だと言えそうだが、
人の生には始まりも終わりもあるからこそ、
時間の経過に従って生きている感覚がありそうで、
時間が限られているからこそ、
生きている時間を無駄に浪費したくないだろうし、
何かしら目的意識でもあればなおさら時間を有効に活用して、
生きている時間内で目的を遂げたいと思うのではないか。
しかし目的とは何だろうか。
何らかの目的を思い描いているとしたら、
それを想像していることになるだろうし、
想像の中での目的はやはり無時間的なフィクションかも知れず、
それを想像している間は現実の世界で時間が経過するが、
四六時中目的を思い描いているわけではなく、
目的を忘れている時などいくらでもありそうで、
それを忘れている間はまた別の時間経過の中で生きていて、
その間は目的に関しては
無駄に時間を浪費していることになるかも知れず、
人は目的とは別のことで時間を使っているわけだ。
それに関して例えば眠ることが人の目的ではないだろうし、
睡眠時間は目的とは別のために費やされた時間であり、
しかも睡眠時間は人が生きていくためには必要不可欠な時間であって、
あまり極端にその時間を削ってしまうと、
健康を害して寿命を縮めかねないから、
それが祟って目的を遂げる前に
死んでしまうことだってあり得るだろうし、
そうならないためには目的以外の時間も必要となってくるわけで、
実際に睡眠以外でも様々な事情で時間を使っているわけだ。
そうだとするとそもそも人には
何のための時間が必要なのかといえば、
その人が必要だと思う限りで時間が必要なだけで、
必要だと思わなければ時間を無視して生きていられるのかも知れず、
もちろんそう思わなくても時間は経過して、
やがて死んでしまうのだろうが、
少なくとも生きている間は無時間的な感覚でいられそうで、
それでも衣食住の必要に迫られて何かしら活動するだろうが、
それ以外での抽象的な目的意識からは自由でいられるのではないか。
そして実際に人の記憶は自らの始まりを覚えていないし、
自らの終わりの瞬間に立ち会うこともないだろう。
終わる以前に意識が途切れているだろうし、
意識が途切れた瞬間が終わりであろうと、
終わりは記憶としては残らないから、
終わりを覚えているはずがなく、
もし終わりを覚えているとしたら、
覚えている時点ではまだ終わっていないということであり、
それはフィクションとしての終わりでしかなく、
フィクションの中で無時間的な終わりを空想しているわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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