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彼の声

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彼の声 2017.3.21 「国家形態」

2017/03/22

ヨーロッパ式の民主主義国家という形態は、
今の世界で主流となっている国家モデルではあるのだろうが、
それに対して日本には日本独自の国家形態が必要だと主張しても、
すでに立法と行政と司法という三権分立を建前としている限りは、
ヨーロッパ式の民主主義国家でしかなく、
今の時代にそれ以外の国家形態は何らかの独裁形態になるだけで、
国家といえばヨーロッパ式の民主主義国家が妥当な形態なのであり、
それ以外の国家形態を模索することは欺瞞となってしまい、
そういう意味で他の国家形態への幻想を抱くべきではなく、
国として独自の何かが必要だと主張することは、
その内容がどんなに魅力的に思われようと、
ある種のまやかしになるしかなさそうで、
そのまやかしが宗教的あるいは民族的な
まやかしを含んでいるとしても、
それもすでにヨーロッパ式の民主主義国家に
含まれていたまやかしなのだから、
国家に宗教的あるいは民族的な独自性を付与する試みは、
それがアラブであってもイスラエルであっても日本であっても、
ヨーロッパ式の民主主義国家の形態から抜け出たことにはならず、
いくら古代に遡って国家の独自性の起源を導き出そうとしても、
それはヨーロッパが古代ギリシアまで遡って
起源を求めたことの模倣にしかならず、
やはりヨーロッパ式の国家形態からは抜け出られないわけだ。
しかもすべての国家形態には資本主義経済が絡みついているわけで、
そうなると国民の間に貧富の格差や、
社会的な階級意識や権力関係が生じて、
当然のことながら貧者と富者の間で、
あるいは階級間で解消不可能な対立や争いが生じてしまうわけで、
そういう矛盾や不条理の類いをいかにごまかすかが
国家運営の要となってくるわけだから、
そこに暮らす民衆の誰もが納得するような国の在り方など、
はじめからありえないわけで、
その中で誰かが得をして優遇される一方で、
他の誰かが損な役回りや犠牲者の立場を
引き受けなければならないのはもちろんのこと、
そういう人々の間に生じる不平等や不均衡を、
放って置かずに絶えず是正する役目を、
政治家や国家官僚が担っているはずなのだが、
それは現状と国家と資本主義が絡み合う状態の中では、
終わりのない作業になるだけに、
建前としてはそれをやっているようには装えるが、
実際には放置されがちな現状があるのではないか。

具体的に人々の間に生じる不平等や不均衡をなくすには
どうすればいいのかといえば、
なるべく各自がやっていることを分散させて、
やっていることが競合しないようにするしかないだろうし、
行為の錯綜や絡み合いをほどくのではなく、
お互いに距離を設けるようにして、
互いが互いのやっている別々の行為を
干渉せずに尊重し合う環境を作れば、
争いや対立が軽減されそうに思われるのだが、
そういう面でネット環境の中に意識を置くと、
一つの問題に関して無理に煽動して意見の集中を画策しても、
それに乗ってくるのは組織的な大量動員以外には
ありえないことを認識しておけば、
意外と無関心でいられるだろうし、
そういう意味で普通にこれまでの民主主義な手法に則った、
人を組織的に大量動員して
大衆の意見集約を実現しようとするやり方を、
ある程度は無効化することが可能なようにも思われ、
そこにこれまでの国家形態から
脱却できる可能性が垣間見えると言えば、
今のところは言い過ぎでしかないが、
現状の国家形態にも国家としてのまとまりが
崩れる可能性が内包されていて、
例えばアメリカが州ごとの地方分権が
強まる可能性を秘めた国家形態であったり、
イギリスからスコットランドが独立する可能性を残していたり、
日本で道州制によって地方分権を進める可能性が模索されたり、
またメディア形態では
衆愚的かつ国家的な一体感を保っていたテレビの一強状態が、
ネットメディアの普及によって徐々に崩れ始めているならば、
一部の新聞やテレビ資本と一体化した、
ネット上で話題となっている国粋的なポピュリズム現象も、
一過性の流行でしかなくなるだろうし、
そうなれば大衆的な意見の集約を必要としないような、
脱政治的な世界が実現する可能性まで夢想したくなるのだが、
まだそんなことを考える段階ではないだろうし、
それ以前に資本主義を起因として生じる
社会的な経済格差の問題が残されたままだし、
ネット環境自体が一部の富裕国の国民だけが享受している
特権的な場でしかないかもしれず、
具体的にはまだ何も変わっていないのかもしれないが、
少なくとも現状でわかっていることは、
社会の制度や慣習に囚われた人々が思い描くような、
国家単位で人間の同質化を推進するような試みは、
これまでの歴史的な経緯の中ではうまくいったためしはなく、
しかもうまくいかなくてもそれを推進しようとするのが、
国家意志として動作する行政的あるいは政治的な傾向なのであり、
それは右翼的な国粋主義も左翼的な社民主義も同様に内包している、
無意識的な国家共同体の顕われなのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
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