文学

彼の声

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彼の声 2017.2.19 「権力の行使」

2017/02/20

何をやるにしろ、
やっていることに無理が伴うならそれを批判され、
では何もやらなければ、
今度はやらないことが批判の対象となってしまうだろうが、
批判されていることをやり続けるには、
それなりの権力が必要となってくるだろう。
何かをやるというのはそれ以上のことではなさそうだが、
それについて語るというのも、
それ以外のことはいくらでも語れるとしても、
いくら語ってもどうにもならないことはありそうだ。
ならばできるだけ面白おかしく語ろうとする方が、
気がまぎれて愉快な気分を引き出せるかも知れないが、
それでは逃げていることにしかならないだろうか。
しかし何から逃げていることになるのか。
それは無理を伴う行為を批判しなければならない、
という強迫観念から逃げていることになりそうで、
無理な行為を続けさせる権力の行使を放置して、
そんな権力の行使によって、
誰かを束縛して自由を奪う行為を容認することにもなりそうだが、
それで構わないだろうか。
具体的に何を批判しているかが明らかとならない限りは、
何とも言えないところだろうが、
明らかとなったところで、
その批判が何に結びつくのかがはっきりしないと、
ただ批判しているだけでは虚しいだけだろうか。
しかし実際に何を批判しているのだろうか。
世の中のあらゆる権力の行使を批判できるわけでもないし、
そんな権力の行使によって
世の中が成り立っているのを承知しながらも、
その中でも悪質であったり
理不尽な権力の行使を批判すればいいのだろうか。
批判を正当化するにはそれ以外にはないだろうし、
だからといって行使される権力の良し悪しを誰が決めるわけでもなく、
そこにあるのは権力を行使せざるをえない物事の成り行きと、
行使する側とされる側との力の不均衡しかなさそうだ。

それをどう捉えてみても、
世の中では絶え間なくそんなことが行われているだけなのだが、
権力を行使する側はそれを正当化しようとするだろうし、
権力の行使によって不利益を被っている側は、
それを批判し非難するしかないわけで、
そんな関係がありふれているのはもちろんのこと、
それに関して無関係を装うこともできるだろうし、
また行使する側やされる側を応援する側につくこともできるわけで、
そうやって権力関係に介入したがる人たちもいるわけだが、
さらになぜそこで権力が行使されているのかを
解明しようとしたい人たちもいて、
どのようにして権力が行使されているのかを知ろうとしたり、
権力が行使されることになった経緯や脈絡や、
その背景まで探ろうともするのだろうが、
やはりそのことと権力の行使を止める手立てを講じることとは
無関係なのかも知れず、
批判しても非難しても権力の行使は止められないし、
権力が行使される理由を解明しても止められないだろう。
では権力の行使を止める方法はないのだろうか。
行使する理由がなくなったら行使しなくなるだろうし、
また権力の行使をやめざるを得ない理由が生じたら
やめるのではないか。
そこで成り立っている利権構造が変化したら権力関係も変化して、
その行使の仕方や対象も変わってくるのかも知れず、
そのような変化は誰かが意図して変わるのではなく、
その種の意図や思惑から外れることによって変わるのかも知れない。
そういう意味で権力を行使する側の意図や思惑から
外れるような変化が起これば、
権力の行使も場合によっては
やめざるをえないことになるのかも知れないが、
それは同時に権力を行使される側や、
批判したり非難する側の意図や思惑からも、
外れるような変化なのではないか。
果たして今後そのような変化が起こるだろうか。
もしかしたらそれはこれまでも度々起こってきたことで、
時代の変遷によって権力を行使する主体も対象も変わってきたし、
行使の仕方も方法も範囲も変わってきたのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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