文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2017.2.17 「問いの中身」

2017/02/18

特に理由もなく思いつきで問いを捏造してしまうが、
人の限界は人工知能の限界とどう重なるだろうか。
それは考えることの限界でもあり、
計算することの限界でもありそうなのだが、
思考することもある種の計算に含まれるとすれば、
それを間違えることによって、
それらの限界を突破できるわけでもないだろうが、
間違える可能性があるということは、
正しい計算結果が間違っていた場合には、
それを修正できる可能性を秘めているのかもしれず、
そういう意味で間違えることにも特有の役割が備わっていて、
間違えることによって思考や行動などの動作に、
ある種の幅をもたせていると考えれば、
誤動作にも肯定的な意味や意義を見出せるだろうか。
しかし人工知能に完璧さを求めないとすれば、
何か計算以外に使い道があるのだろうか。
ありえないことかも知れないが、
趣味で人工知能を作り出そうとしているのなら、
別にこれといって使い道のない人工知能に仕上げても
構わないのかも知れず、
何やら誤動作ばかりしているようなものを作り出せれば、
人工知能らしくなくて皮肉を好む人なら愉快この上ないだろうし、
予測できないような動作を延々と続けるような機械になれば、
それ自体を安易に一種の抽象芸術とみなせるかも知れないし、
そもそも役に立たないものを作ることが、
人がやる行為としては最も贅沢なことかも知れず、
世の中には結構そういうものを作ることに
異常な情熱を傾ける人も多いだろうから、
そういう奇人変人の類いがわけがわからないものを作って、
世間をあっと言わせるような結果ともなれば、
それで世の中が変わるわけでもないだろうが、
少なくともそういう人が、
人の限界を超えていることにもなるのかも知れず、
また何の役にも立たない人工知能を作り上げたなら、
それも人工知能の限界を超えた人工知能だと言えるだろうか。

動作の正しさや考えの正しさに対して、
誤動作や誤解を対置してみても、
それだけで動作や思考の可能性が広がるわけでもなければ、
皮肉なことでもないのかも知れないが、
正しさの基準というのが曖昧な方面で、
何をどう考えてどう行動するのかが、
いつの時代でもどういう世の中でも問われていることかも知れず、
実際には誰がどこで問うているわけでもないのだろうが、
これでいいのかと思うことが結構あるようだと、
自身が問うているわけだが、
そんな疑念を抱かせるような状況の中で生きていると思えば、
世の中が問われているのだろうし、
時代状況もそんな問いを発しているのかも知れず、
自分もそんな問いに応じたいのかも知れないが、
はっきりした答えなど持ち合わせていないのは毎度のことで、
無理に答えようとしても間違ってしまうような気がするし、
いくら探しても間違った答えしか見つからないのかも知れないが、
それでもそんな状況に迎合せざるを得ない成り行きなら、
答えを間違ったついでに批判を繰り返すのだろうし、
時代状況を批判して世の中を批判してしまうわけで、
何かを語ろうとすれば批判しているわけだ。
いったいそれ以外にどう語ればいいかなんてわかるわけもなく、
ただ気がつけば批判を繰り返している中で、
批判している自らを正当化するわけにはいかなくなってくるわけで、
何か間違った批判を繰り返しているのではないかと疑いながら、
それでも批判しているものだから、
そんなことばかりやっていると、
だいたい批判することに行き詰ってくるわけで、
ついには批判しかできないことに飽きてくるのではないか。
そして自らが何を問われていたのかなんてすっかり忘れているわけだ。
実際に何も問われていないなら無理に批判など繰り返す必要もなく、
生きることを楽しめばいいのかも知れないが、
楽しめないから批判するのだろうし、
楽しめない現状の中で生きているのかも知れないが、
では問いの中身は何なのかといえば、
これでいいのかという疑問でしかないのだろうか。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。