文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.2.14 「生きること」

2017/02/15

例えば自分が何によって生かされているのかといえば、
とりあえずは偶然に生かされていると思い込んでおけば、
それが無難でもあり無責任にもなれそうだが、
何か生きていることに責任を感じるような事情でもあれば、
場合によってはそれが心理的な重荷にもなるだろうし、
そこで生じている何らかの責任を全うしようとすることが、
生きていく上で励みにでもなれば、
何やら生きることに積極的な意味や意義が生じる契機にもなるだろうか。
そのような責任が生じることも偶然のめぐ合わせであるかも知れないが、
安易になぜ生きているのかと問うならば、
いくらでも生きている理由が思い浮かぶわけでもないだろうが、
そこで主体的に何かをやっているとすれば、
それをやるために生きているという簡単な理由がすぐに求まるだろうし、
大半の人にはそれ以上の理由など必要なさそうで、
そうやって生きていることに対する問題提起は済んでしまいそうだが、
そもそも生きていく上でそんな理由など不要なのかも知れず、
それ以外のことに関する理由が山ほどあって、
いちいち生きていることに関して
何か考えてみる暇などないのかも知れず、
それが偶然であろうと必然であろうと、
生きていることには変わりなく、
そんなことをわざわざ肯定したり正当化するには及ばないだろうか。
そういう次元で何かを問うことは、
それよりもはるかに切実な問題があることを忘れるためには
必要なことかも知れないが、
その切実な問題というのが、
自らがやっていることややろうとしていることに関して
生じる問題なのだろうし、
それがより深刻な次元では、
自らの生死をかけてやらなければならないことであったり、
場合によっては他人の生死までも巻き込むような行為なら、
何やら真剣味が出てくるだろうか。

たぶんそうでなければ問う価値のない行為というわけでもないだろうが、
別にそんな状況に直面していないなら、
相対的には気楽に構えられるようなことかも知れず、
また世の中には人の生死に関わるようなこととは
質の異なる次元というのもありそうで、
例えば社会の中でそれなりに世間的な脚光を浴びるような
立場の人であれば、
そこで何かをやることに
社会的な責任が付いて回るようなことにもなるわけで、
特にその一挙手一投足にメディアが注目しているような場合は、
社会的な行動規範から外れるようなことをやれば、
直ちに関係方面から非難を浴びるだろうし、
現にそういうことがニュースネタになって世間の話題ともなり、
それはそれでそういう次元では必要不可欠なことなのだろう。
だが自分の関心がそれに巻き込まれていなければ、
自らが生きていく上では無関係なことであり、
それとは違う方面に関心があるのかも知れず、
実際にそちらの方面で思考し行動しているのなら、
そういう方面で生きていることにもなるだろうし、
それをやることが自分にとっての
生きる理由であり目的だと思い込めれば、
そこに何らかの必然性が生じていることにもなるだろうし、
たとえそれが勘違いの幻想であろうと、
当人にとってはリアリティを感じられる状況であり、
そんな成り行きに絡め取られて、
人はそういう傾向に凝り固まってしまうのかも知れないが、
それが良いか悪いかも
当人の思い込みの程度によるところが大きいだろうし、
一概に外部から判断するようなことではないのかも知れない。
たぶんそうやって人の興味も関心も適当に分散してくれれば、
それなりに世の中も平和になるのかも知れないが、
実際にはそうなる一方でそれとは逆の現象も顕著に見受けられ、
しかも分散ではなく一箇所に集中することが、
メディア的にも資本主義の面でも利益をもたらす傾向があり、
人為的にそうなるように仕掛けることが、
利益を得るための戦略でもあるわけだから、
やはり多くの人がそれなりに
そんな仕掛けに乗せられている現状があるから、
それが良いか悪いかは別にしても、
こんな世の中になっているわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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