文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.2.10 「まやかしの安心感」

2017/02/11

自らがやっていることに関してどう思うにしても、
自分以外の何が評価の基準になるとも思えないが、
社会の中では定まった価値を担う物事もあるだろうし、
それに関われれば何らかの社会的な評価を得られるかも知れないが、
そこからかけ離れていることをやっているなら、
勝手な思い込みで自意識過剰にならない限りは、
社会的な評価とは無縁だと思っておいた方が無難だろうし、
それでも構わない面があるにしても、
自分の中での評価基準は
社会的なそれとは無関係だと思うしかないだろうか。
そこから得られる認識は、
自分以外には通用しない価値基準に
とらわれているとしか思えないのだが、
それが独りよがりであるにしても、
その基準に照らし合わせて満足できるならば、
それで構わないということなのかも知れず、
構わないと思っているうちは実際にも何とかなっているわけで、
それが打ち破られるような事態に直面しない限りは、
そのままになってしまう恐れもありそうだが、
案外自分では気づかないところで、
自分の基準をぶち壊すような出来事が用意されているのかも知れず、
そうなることを期待しながらも現状を維持しているわけで、
そういう意味でも現状でやっていることには両義的な方向性があり、
外部からもたらされる状況次第では、
どちらに向かっても不思議ではないのだろうが、
その一方でどちらに向かっても、
やっていることが変わらない可能性もあるわけで、
それが何を意味するわけでもないとすれば、
自分が維持しているつもりの評価基準も
変わりようがないということだろうか。

たぶんそれを狙っているというよりは、
やっているうちにそうなってしまう成り行きがあり、
そんな成り行きまかせだからこそ、
自分以外の評価とは無縁でいられるのだろうし、
自分が自分のやっていることについて
何をどう評価するつもりがなくても、
それで構わない現状を、
そうなってしまう成り行きが構成しているのではないか。
だからたとえやっていることの脈絡が感じられなくても、
そこでやっていることの連続性を感じられ、
その連続性が安心感をもたらし、
不安を抱かずにやり続けられる現状をもたらしているのであり、
そんなことをやっている自らを正当化する気にもなるわけだが、
別にそこに落とし穴があるわけでもなく、
そんな独りよがりでも構わないわけだから、
結果的に相変わらずの現状に埋もれてしまっているわけでもあり、
何が埋もれているのかといえば、
それはそこから逸脱する可能性とともに、
外部への出口が経験の地盤に埋もれて閉ざされ、
それがないから連続する記憶と、
連続していることから生じる安心感がもたらされていて、
そのような状況が自らにとって
安住の地となっているのかも知れないが、
現状がそうだとしても
それがすべてでもそこで終わりでもないだろうし、
その先にそんな安心感を打ち砕く何かの到来を期待しているわけで、
いずれそんなまやかしの地から出て行くような
成り行きの到来にも期待していて、
それを誰が期待しているのかといえば、
現状に安住している自分とは別の自分なのではないか。
しかもその別の自分が今の自分とは重ならなくても構わないわけで、
そんな自分が何を考えどう行動したいのか
なんてわからなくても構わないわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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