文学

彼の声

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彼の声 2017.2.5 「自由な状態」

2017/02/06

執拗にやらざるをえないことは、
たぶんやるように仕向けられていることなのかもしれないが、
少なくともそこには自由な態度を許さないような力が働いていて、
ある一定の態度を取っていることが前提となって、
その前提を認めない限りはその先へと進めないような成り行きが、
人の行動を拘束しているようにも思われるのだが、
その一方でそのような拘束から解放された自由な態度というのが、
何の前提もなしにとれるかというとそうではなく、
何に対して自由であるのかが自由であることの証であり、
自由というのは常に自由を束縛する対象を前提としていて、
その束縛してくる対象から自由であることが、
相対的な自由として実感させられるわけだから、
例えば勝手気ままに生きることが
自由を実感できるような気がするわけだが、
実際にはそれでは欲望の奴隷となっている可能性もあるわけで、
そういう場合は欲望から解放されることが
自由であることの証となるわけで、
心を拘束している欲望をいかに抑え込めるかが、
自由を得るためには必要となってくるような気もするのだろうが、
一方で欲望を抑え込もうとする態度そのものが、
不自由そのもののようにも思えてくるわけで、
要するに欲望を抑え込もうとすることに
心が拘束されてしまっているわけだが、
それに対してとれる態度といえば、
過度な欲望にとらわれないように、
節制を心がけるようにすることであり、
それが自由であるのかと問われるなら、
欲望をほどほどに抑えている限りで、
過度な欲望に心をとらわれることからは
自由であるとは言えるのではないか。

執拗に節制を心がければ、
節制を心がける態度には拘束されて、
そういう面では不自由であるが、
節制を心がけている限りにおいて、
過度な欲望にとらわれることは避けられて、
そういう面ではそれなりに自由を得ていることにはなるのかも知れず、
節制と欲望の板挟みになる状況というのも、
容易には想像がつかないところだが、
どちらにもほどほどに触れる程度の状態を実現できたら、
それが相対的に自由な状態とも言えるのかもしれず、
もちろん何事にもある一つの態度にのめり込まないと、
真の状態を味わい尽くしたことにはならず、
ほどほどの節制も欲望も中途半端な状態であり、
そういうどっちつかずのまやかしは否定して、
ある面では究極の節制であるのと同時に、
別の面では究極の欲望の成就を実現できれば、
それこそが究極の束縛であるのと同時に、
究極の自由を得たと実感したことになれば良いのだろうが、
たぶんそういうのは誇大妄想の類いであって、
フィクションの主人公が体験するような状態かもしれないが、
生身の人間がそれを目指すと死に至りそうで、
一般人が目指すような境地ではないのはわかりきったことかも知れず、
そういう意味でもほどほどの節制とほどほどの欲望の充足を
目指すというよりは、
普通に思考し行動している限りは、
そうなるしかないようにも思われるわけで、
別に目指さなくてもそうなってしまい、
心配するようなことでもないのだろうが、
ではそれにのめり込んでしまうような状態になってしまうのは、
どんな状態なのかというなら、
たぶん歯止めがかからなくなる状態であり、
何かに拘束されている状態から解き放たれて、
自由になってしまった時なのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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