文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.1.30 「執着心」

2017/01/31

たぶんこだわりの類いは過去の経験に根ざしていて、
意識が過去から逃れられないなら、
過ぎ去った時間の中に忘れられない思い出があるのだろうし、
記憶として残っている過去の光景の中から、
それを思い出しているのが今だとしても、
過去の経験を頭の中で蒸し返していて、
時にはそのことであれこれと
悔やんだり悩んだり反省することもあるだろうが、
そこではすでに今の時間の中で考えているわけだから、
それは過去の思い出を執拗に反芻し続ける今の経験であり、
いくら過去を繰り返して思い出しても、
今を生きている現実は変わらないわけで、
その今を生きている現実というのが、
実感としては捉えにくいのかも知れず、
例えば今ここで何をやるべきかとなると、
すでに今ここでやっていることが、
やるべきかどうかを考える以前にやっていることなのだから、
すでにやっていることをやめてまでやるべきことがあるのかといえば、
それは意志の力でどうこうなるようなことではないのかも知れず、
どう思っていようと何にこだわっていようと、
やめられない事情があればやめられないだろうし、
また何かの都合で
やめなければならなくなってしまうことだってあるだろうし、
そうなると個人の力ではどうにもならないような次元で、
何かをやっていることになるわけで、
時にそれはやっているというよりは、
やらされていると捉えた方が正確な場合さえありそうだ。
それでも何かのきっかけでそれをやめるべきと判断してやめられたら、
それに代わって何をやるべきなのかとなると、
果たしてやるべきことをやるということが、
何か利益をもたらす可能性があるように思われるなら、
そこで何やら功利的な欲望にとらわれていて、
それがそこでのこだわりとなるのだろうが、
目的がなければこだわりも生まれてこないだろうし、
それにこだわることが目的となっていて、
それが過去からこだわっていることであり、
こだわることが生きる支えにもなっているとすれば、
それは容易には捨て去ることのできないこだわりであり、
そんなこだわりがその人の思考や行動に制約や制限を課し、
その制約や制限に縛り付けていることにもなるのだろうが、
別にそれが功利的なこだわりでなくても、
こだわることに何かしら使命感を抱いているなら
執拗にこだわるわけで、
そんなこだわりとともに生きている人は、
場合によってはそのこだわりが原因で死ぬことにもなるだろうか。

こだわりは執着心であり、
こだわりを持って生きることに執着していることでもあるわけで、
それで死ぬことにでもなれば、
皮肉なことだろうが、
こだわりを捨てれば、
そのこだわりから自由になれるかも知れず、
それと入れ替わりに別のこだわりを持てば、
また性懲りもなくこだわりにとらわれてしまうわけだが、
現実の世界では、
他人のこだわりに寛容になれることが、
いかに難しいかが問題となっているわけで、
他人のこだわりによって不利益を被るようだと、
不寛容にならざるをえないわけだが、
それがはっきりとした被害ではなく、
ただ不快に感じられる程度なら、
こちらが我慢すれば済むようなことであっても、
不寛容であることにこだわってしまうと、
それでは済まなくなるわけで、
どこまで我慢できるのか、
その限度もその場の情勢や状況で異なってくるだろうし、
例えば勝手なことを自由に主張できるようなネット環境では、
他人の発言や態度にすぐにキレて罵倒し出す人が増えると、
そこで不寛容な姿勢が蔓延しているように思われるかも知れないが、
何を主張しようと自由である建前が守られていれば、
そんな不寛容な姿勢も許容されるわけで、
逆説的にそこでは寛容さがもたらされていることになり、
実際にその場で多種多様な姿勢や主張が許されている限りは、
寛容さが保たれているように感じられるわけだが、
そういう場を組織的に荒らそうとする集団が出てくると、
そんな集団の不寛容さがその場を支配して、
自由の建前が崩壊して、
そういう場を心地よく利用するためのマナーとして、
他人を誹謗中傷するコメントは
管理者が削除するようなルールが作られて、
実質的には自由ではなくなってしまうわけだ。
そういう意味では組織的な不寛容が世の中に蔓延ると、
社会は不寛容な精神を組織的に広める人たちの天下となるわけで、
今ある現実の世界でもそんな傾向を感じられるかも知れないが、
そういう傾向が不快だと思われたら、
そんな風潮に抵抗するしかないだろうが、
そこで安易に思いついてしまうのが、
組織的な抵抗を仕掛けようとすることであり、
組織には組織で対抗しないと
力で負けてしまうように思われるのは当然だろうが、
たぶんそれが罠なのかも知れず、
個人が組織に力で勝つことはあり得ない程度に思っておくだけで
構わないのかも知れない。
組織に抵抗しようと思うなら、
個人で抵抗すればいいだけで、
個人と個人が連携したり協力するにしても、
個人としてやればいいことでしかなく、
個人同士が連携し協力すれば良く、
それでは組織に勝てないなら、
負けていればいいのかも知れない。
個人にこだわるならそうなるだろうが、
どうしても勝ちたいなら、
そんな不合理なこだわりは捨てて、
組織に入ればいいのかも知れないが、
何が正解とも言えないし、
実際にどうするかはその場の状況次第でしかないだろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
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