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彼の声

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彼の声 2017.1.29 「行動の現実」

2017/01/30

何かやった後から、
自らの行動に理由があったりなかったりすることを、
別に不思議に思うわけでもないが、
理由を思いつけなければそのままになってしまうだけで、
必ずしも理由がなかったわけではなく、
たまたまその場での事態が複雑に込み入り過ぎていて、
何が理由なのか判然としないまま、
ともかく何らかの行動を起こしてその場を切り抜けた現実があり、
後から理由を探る気が起きなければ、
それで済んでしまうようなことになりそうで、
いちいち行動の理由を確定するまでもなく、
その場の状況に合わせて対応するような行動もあり得るのだろうが、
何だかわからずに何となく行動しているうちに、
だんだんと行動している理由がわかってくるような場合は、
たぶんはじめから行動の理由がわかってしまうと、
怖気づいて行動を躊躇したり、
途中であきらめてやめてしまう可能性もあるから、
はじめのうちは理由がわからないままの方がいいのかも知れず、
そしてわかった時にはもはや引き返せない状況となっていれば、
そのままやらざるを得なくなってしまうわけで、
はじめからそんなことを狙って行動しているわけでもないのだろうが、
結果的にそうなっているのなら、
そういう場合は強固な意志が行動を生んでいるのではなく、
何となく始めたことが、
それをやり続けている過程で、
そのやっている状況に対応した意志を生み出したと言えるのかも知れず、
自らの行動とともに、
その行動に合わせた意志が構成されているのだとすれば、
行動する理由も行動とともに形成されつつあるわけで、
何か行動以前に何らかの企みがあり、
その企んでいる思惑とともに、
事前に何らかの意志が形成されていて、
行動を起こした理由もはっきりしている場合でも、
行動している途中で
当初の企みに大幅な変更が加えられるような事態ともなれば、
そこに変更した理由もつけ加わってくるだろうし、
そうなるといったい何のために行動を起こしたのか、
よくわからなくなってくるような事態にもなるのではないか。
それでも強引に初志貫徹しようとしておかしくなったり、
あるいは潔く実情に合わなくなった当初の企みなど捨てて、
成り行きに行動を合わせることでうまくその場を切り抜けたり、
結末に関しては様々な可能性を想像できるが、
結果から振り返ればいくら途中が波乱万丈でも、
それなりに滞りなく物語れてしまうから、
何か強固な意志を持ってやりたいことをやり通したように
語られてしまうのかも知れない。

そういう面で実際にやっていることと、
そのやっていることについて語っている内容に、
ずれや食い違いが生じてくる事態もあるだろうが、
そういうことも含めての行動なのだから、
人の行動に首尾一貫性を期待するのは困難だろうし、
それが何らかの行為である限り、
その場の状況に左右されて、
そういう部分では行動している当人には制御が利かず、
場当たり的に行動しているだけなのに、
後からその時の行動理由をもっともらしく語られると、
そんな理由など信用できなくなってくるのだろうが、
そのもっともらしく理由を説明している内容こそが、
フィクションの起源であるとともに、
行動の原理にもなるだろうし、
そこだけ取り出して、
こうしなければならないと呼びかけるようなら、
場合によってはそれが政治的なイデオロギーにもなるのではないか。
実際に何かを実現するために
行動を起こさなければならないとなると、
その時の状況がどうであろうとお構いなしに、
事前に決められた通りに行動を起こしてしまうなら、
そういう行動が成功する確率は低いようにも思われてしまうわけだが、
そのような行動であっても、
実際にはその場の成り行きまかせでやっていることが大半だろうし、
やっている途中では結果がどうなるかはよくわからないから、
当然その場の状況に合わせて一貫性のないことが行われ、
その結果思いがけない結末が待ち受けていたりするのだろうが、
結局は後から事態を掌握した勢力が、
何やらもっともらしいことを語り始めるわけで、
こういう結果がもたらされたのは必然であり、
自分たちの正義への意志が勝利をもたらした、
とでも宣言してみせるかも知れないが、
そんな結果を目の当たりにする人々には、
それが思いがけないことであるわけで、
たぶん事前の期待からは
まったく外れた結果であることが多いのではないか。
例えば王制を倒して民主主義を実現しようとしたフランス革命が、
ジャコバン派による独裁的な恐怖政治を招いた後、
ナポレオンによる帝政を招いたり、
帝政を倒して共産主義を実現しようとしたロシア革命が、
過激な少数派であったボリシェヴィキのクーデターを経由して、
スターリンの独裁に至ったり、
後からもっともらしくそのような結末が
必然であったかのように語られると、
そこに至る歴史的な経緯を知っているだけに、
そういう説明を信用してしまいがちにもなりそうだが、
それが結果でしかないことは確かで、
そのような結果から否定的な印象を得るとしても、
それと現代に行われている政治的な行動を結びつけるのは、
いくら何でも飛躍がありすぎるだろう。 

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創刊日:2001-03-26  
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