文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.1.27 「活動の中身」

2017/01/28

物と情報の違いは、
それが資産となった時に顕著な差が現れ、
物より情報の方が取り扱いが容易で、
交換の際にコストがかからず、
劣化せずにかさばらないから蓄積に向いていて、
それが現預金や有価証券などの金融資産なのだろうが、
一方で人が生きていくには物が必要で、
物としては土地建物や機械設備などの資産があるわけだが、
土地は面積に限りがあって
都市部以外ではほとんど資産価値はないし、
建物や機械設備は経年劣化するし、
結局それらすべてには維持管理費がかかるわけで、
資産額としては圧倒的に金融資産の割合が多いことは確かだろうし、
昔は通貨が貴金属の金との兌換を保証していたから、
増加割合に一定の歯止めがかかっていたかも知れないが、
ある時期から兌換を維持できないほどの量の通貨が
発行されてしまったから、
もはや物質量と情報量を交換するに際しての
絶対的な基準がなくなってしまったわけで、
そうなると限りがあってかさばる物質量に比べて、
情報量は圧縮が利く分、
桁違いの速度で増やすことも蓄積することも可能なわけで、
どう考えても情報量の桁違いな増加と蓄積に、
相対的な物質量と情報量との交換レートが追いついて行けずに、
情報の価値が物質の価値に比べて、
不当に高くなっている現実がありそうなのだが、
結局のところそんな物質量と情報量との特性の違いを利用した
錬金術的なマネーゲームによって、
世界的に金融資産が凄まじい勢いで増えた結果が、
貧富の格差を象徴する資産格差を生んでいて、
もしかしたら世界中のすべての物を買っても、
なお凄まじい額の現金が余ってしまうというか、
そもそもすべての金融資産を現金化できるほど通貨がないのかも知れず、
もちろんそんなことをやる機会などないから、
現状が破綻していないわけで、
そんなふうに考えてしまうと、
単純な数字的な情報と化した資産というのは、
人が生きていくために必要な資産というよりは、
資産を増やすために必要な資産として
利用されているのはもちろんのこと、
人が生きていくため以外で活動する原動力となっていて、
では何のために活動しているのかといえば、
資産を増やすために活動しているわけで、
それは資本主義の究極の目的でもあるのだろうが、
それがそのまま資産所有者の価値を高めているとも思えないが、
何やら資産を増やした先に、
その資産を使って社会に貢献するような活動も出てくるわけで、
すでに人々の間に凄まじい資産格差を生み出して、
それが社会の中に不和と混乱を招いているのに、
今さら社会貢献もないだろうとも思われるだろうが、
たぶん結果的に成功した個人を責める筋合いはないのだろう。

国家は国民を従わせるのが目的で、
資本主義は資産を蓄積するのが目的で、
それらの目的のために人が活用されている現実があるわけだが、
一方で国家と資本主義を利用して何かやりたい人も中にはいるわけで、
それらの思惑が一致することも絡み合うことも
すれ違うこともあるだろうが、
そもそも人は目的だけのために活動しているわけでもなく、
何かのためにやっているそれが、
目的だとは自覚していない場合もありそうで、
また人それぞれに異なる目的があるとしても、
自分以外の何かの目的に従わされている場合も多いだろうし、
そんな人たちが何のために生きているのかと自問してみても、
明確な答えなど見つからず、
見つける必要さえも感じられなければ、
その場の成り行きに流されているだけでも構わないのかも知れず、
そう考えると何かを目的化する動作というのが、
すべての人に共通する意識作用だとは思えないし、
そういう面であまり万人に共通する理解や認識を探ろうとしてしまうと、
人の活動の多様性を取り逃がしてしまうのかも知れず、
人の活動の目的化という単純化から何を導き出しても、
人と物と情報が絡み合って生じる社会現象の、
何を説明していることにもならないかも知れず、
人も国家も資本主義も、
それぞれの目的のために活動しているとともに、
それぞれにまとわりついている特有の性質もあるわけで、
それらの特性が重ね合わさって特有の効果を生み、
場合によってはそれぞれの目的を
はぐらかしている作用もあるのかも知れず、
例えば他人の目的に邪魔されて自分の目的に向かって進めなかったり、
国家が国民を従わせようとするほど反発や反感を招いたり、
資産を蓄積するには消費したり交換しなければならず、
そういうそれぞれに特有の試練を乗り越えないと、
目的の達成とはならないわけで、
そのためには他との協力や連携や対立や戦いなどが、
試練として課されるわけだろうが、
そこに試練があるということが、
何かしら目的を妨げる障害があることを明かしていて、
目的へと向かうと
それなりに逆方向の力が働くことを示しているのだが、
それがそこで起こっている現象なのであり、
作用反作用の力の及ぼし合いとも言えるのだろうが、
その場の状況に合わせて力を及ぼすための戦術や戦略が、
権力を行使するやり方として、
人も国家も資本主義も求めているものであり、
それを実行すること自体がそれぞれの活動なのではないか。
 

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創刊日:2001-03-26  
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