文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2017.1.24 「教育の目的」

2017/01/25

簡単に言えば民主主義は資本主義から生まれ、
また民主主義をより資本主義経済に順応させると、
民主主義は全体主義になると言えば、
そんな説など信用できないと思われるかも知れないが、
資本主義経済の中で人も物も情報もより効率よく行き渡らせるには、
いくら効率的なシステムを築き上げても、
その中で人が反発してしまっては、
うまくシステムが作動しないから、
まずは人を馴致し調教して、
システム内の歯車として従順に回るようにしなければならず、
そのための人を籠絡する戦略や戦術が、
世の中ではあれこれと考案されているのだろうし、
それは物や情報の生産から流通を経て消費に至るまで、
滞りなく流れるような仕組みに組み込まれていて、
人はただそれぞれの現場で、
システムが順調に動作するような配慮が求められ、
流れに逆らわずに
システムを動かす力に従っていればいいことになるのだろうが、
そのような人を作り出すのが全体主義的な権力だと言えば、
少しは納得してもらえるかも知れないが、
そもそも民主主義を実現させるには、
すべての人が平等な権利を主張できるような環境が不可欠で、
それとすべての人が同一のシステムに従う全体主義的な環境は、
一見似て非なるもののように思われるかも知れないが、
人が平等に主張できる権利というのが、
同一のシステムに従う権利だとすれば、
その権利を行使する人は、
全体主義的な政治体制に参加することになってしまうのかも知れず、
それこそが人を同一のシステムに取り込むための罠だとするなら、
民主主義という肯定的な価値観に誘われて、
人は自然に全体主義的なシステムに従う羽目になってしまうような
成り行きがあるのかも知れないが、
それでは話が少しおかしいわけで、
民主主義は政治のシステムであり、
経済的な物流システムではないはずなのだが、
なぜそれがつながってしまうのかといえば、
労働を介してつながるわけで、
経済を優先させるには労働者の効率的な運用が不可欠であり、
そのための全体主義なのだとすれば、
労働の現場が全体主義であるのに、
政治の現場が民主主義というわけにはいかなくなるわけで、
また人は何よりも生活の糧を得ることを優先させなければならず、
それには必ず労働がつきまとい、
労働を通してリアリティを得るわけだから、
そこでは民主主義的なきれいごとが通用しないことを実感させられ、
そんな現実から民主主義が掲げる自由や平等や友愛などの
幻想的な理念に対する疑念が芽生えてくるのではないか。

しかしそもそも政治とは何なのか。
なぜ政治と経済を並べて
政治経済学というカテゴリーが存在するのだろうか。
それは政治と経済が密接に結びついているからだろうが、
法律的には国民の自由と平等を保障しておいて、
表向きは政治は国民の生活を守り、
国民を幸福に導くのが政治の役目であるはずなのだろうが、
一方で行政的な面では、
企業などの経済活動に必要な高品質で従順な労働者を
教育によって作り出す必要があり、
実際の教育現場では学業と並んで、
権力に従うように規律を守るための様々な訓練が施されるわけで、
それは教育の場だけではなく、
一般人を対象とした訓練なども、
職場や地域的な自治の場や病院や各種の施設で施されていて、
その中には当然のごとく刑務所もあるだろうし、
道路でも警察が交通規則を守らせようとしているわけで、
また治安維持を目的とした警察は、
普通に各種の法律を守らせるために、
国民を指導していることになっているわけだから、
中には防犯講習会などの訓練を伴うこともあるだろうし、
防火訓練では消防署が出てくるわけだし、
そうやって様々な役所が
国民を規律に従わせるための訓練を施しているわけで、
それらを広く国民を国家に従わせるための訓練だと捉えれば、
そうやって国家が国民に対して
権力を行使していることになるわけだが、
国民の側にはそれほどはっきりとした自覚はないだろうし、
米軍基地の反対派に
警察の機動隊が暴力を振るうような権力の行使とは、
その強度や質が異なるように思えるだろうが、
また政治家の政治活動とは全く違う行為かも知れないが、
やはりそこにも政治が介在していることは確かだろうし、
民主主義のきれいごととは別に、
暗黙の了解事項として、
国民を国家に従わせるように権力を行使するのが
政治の真の目的であり、
しかも国民の反発を招くような暴力などあからさまな行為は、
なるべく控えなければならないだろうし、
できれば国民が権力を行使され国家に従わされている、
という自覚を持たれないような配慮が必要とされているのではないか。
そんな傾向の国家に従順に従うように仕向ける訓練が、
国民がそれと自覚できないような形で施されなければならず、
そういう意味でもなるべく子どもの時分から
権力の行使に慣れさせる目的で、
学校などで中身の濃い教練や訓練が
繰り返されている現実があるのかも知れず、
それを北朝鮮などで行われている
洗脳教育と一緒にするのは憚られるだろうが、
目的としては似たようなものなのかも知れない。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。