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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.1.22 「予想の困難」

2017/01/23

産業革命時代ほどではないにしても、
今の時代でも人の労働を機械に置き換える過程が、
現在進行形で進んでいることは確かだろうが、
それと並行して人の労働も新たに創出されているかどうかは、
はっきりしないところかも知れず、
長期的に失業率が右肩上がりで上がっていなければ、
今のところは労働が機械に置き換えられても、
そのあおりを食って
人の働き口が減っているわけではないことになりそうなのだが、
少なくとも機械技術の進歩と普及によって、
人の労働形態は昔とはだいぶ様変わりしていることは確かだろうし、
機械に置き換えられてなくなった労働もいくらでもあるのだろうが、
今の時代に生きている人は今の時代の中で行われている労働を、
当たり前のように認識しているだろうし、
機械に労働が奪われて失業者が大量に出て、
それが社会問題化しているという話題は聞かないし、
少なくとも急激にそうなっているのではなく、
いつの間にか機械に置き換わっていて、
それによって困る人が大量発生しているわけではなさそうで、
メディアがセンセーショナルに
取り上げるような話でもないのかも知れず、
たぶん必要に応じて人力が機械に置き換わっているだけで、
必要がなければ人力のままなので、
必要もないのに機械に置き換わって、
人力でやっていた人が困るような事態ではないのかも知れず、
また機械が今では十分に普及していて、
機械が人力の労働に取って代わるというよりは、
技術革新などによって進化した新しい機械が、
古くて非効率な機械に取って代わるケースの方が多く、
機械を作り出す人や操作する人は今のところは必要だから、
機械が機械を自動的に作り出して、
人の操作を必要としない機械が
主流を占めるようにでもならない限りは、
相変わらず人の力を介在させなければならないだろうし、
そういう意味ではまだ十分には
機械文明が発達していないようにも思われるわけだが、
機械が機械を勝手に作り出して、
その機械が勝手に動き回るようになれば、
人が何をやればいいのかわからなくなってしまいそうで、
今のところはそこまで文明が進んでいないから、
労働の苦しみと生きがいが人にもたらされているわけで、
そんな労働やその他の動作に対応して、
人の意識が構成されているのだろうし、
今の時代に生きている人にとっては、
この先いつか労働のない時代が到来するとしても、
そんな時代に生きている人が
何を考え何を生きがいにして生きているかなんて、
想像できる範疇にはないだろうし、
それははるか昔の時代に生きていた人が、
今の時代に生きている人の意識を想像できるとは思えないのと
同じようなことだろうか。

過去も未来も想像力の産物に過ぎないかも知れないが、
過去にはそれなりに痕跡が残っていて、
過去の文献などからその時代に生きていた人が
何を考えどう行動していたかについて、
それなりに確からしいことが言えるかも知れないが、
そうであるにしても現代の基準から過去を考えてしまうと、
現代の人が納得でき信用できるような過去が構成されて、
それは未来についても言えることで、
現代の人が納得でき信用できるような未来の姿を
想像してしまうわけだが、
それらの思考に何が欠けているのかといえば、
そんなことを考え想像している現時点での認識について、
それがたとえ現代の人が納得でき信用できるような認識だとしても、
果たしてその正しさをどうやって証明できるのか、
その方法を思いつけないのだが、
現代人の現代についての認識が正しかろうと間違っていようと、
とりあえずその認識が納得でき信用できるようなら、
そういうものだと思うしかないだろうし、
その正しさまで証明しようとはしないだろうし、
結局はその延長上で過去や未来の認識が構成されてしまうとしても、
そう思ってしまうなら仕方ない面もあるのではないか。
ただそうだからといって、
それを納得したまま信用したままでいる必要がなければ、
より納得でき信用できるような認識を模索してもいいわけで、
そういう方向で何か手がかりがあるとすれば、
それは過去の文献などから導き出される過去の認識と、
現代人の認識との差異であるだろうし、
例えば産業革命期の社会的な混乱の時代に、
遠からぬ資本主義経済の破綻による終焉を予想する意見と、
それが破綻せずにやがて定常状態に落ち着く意見と、
同じ経済現象から導き出された学説から、
二種類の相反する予想が同時に主張可能だったとしたら、
では今の時代に資本主義経済の遠からぬ破綻と
終焉を予想する人たちの主張が、
たとえそれが納得でき信用できる内容だとしても、
少なくとも実際にそうなってみないことには、
その正しさは証明されないわけだから、
それをどう捉えるべきか迷うところだろうし、
そもそも相反する二種類の予想が可能な学説が、
それなりに納得でき信用できるようなものなら、
そこから導き出される相反する二種類の予想も、
それなりに納得でき信用できるわけで、
そうなるともはや資本主義経済の破綻も安定も
どちらもあり得ることになり、
予想すること自体に
意味がなくなってしまうようにも思われるわけだが、
予想したい人はそこから予想を導き出したいわけで、
やはりその辺に不条理があるのかも知れない。 

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創刊日:2001-03-26  
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