文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.1.19 「ニコニコ」

2017/01/20

たぶんメディア的な認識から逸脱すると何がわかることもなく、
何をわかる必要もなくなってしまい、
そんなことはどうでもよくなってしまうのであり、
自分が何も語る必要もないことまで気づいてしまうのかも知れないが、
あえてそれに逆らって語ろうとすると、
結局は語る必要のない余分な内容となってしまうだろうか。
しかしメディア的な認識とは具体的に何なのか。
それさえもわからなければ、
そこから逸脱することも
それに逆らうこともできないような気にもなるが、
もしかしたらこれといってはっきりとわかるような認識など、
もとから提示されていないのかも知れず、
ただそれをメディア的な認識と呼んで否定的に扱えば、
何か語っているような気になれるわけでもないのだろうが、
そこには一括りにできないような多種多様な認識が述べられていて、
その様々な認識の分散的で離散的な広がりを表現しようとすると、
それをメディア的な認識という何かおおざっぱで否定的な言い回しで
語りたくなってしまうのだろうか。
といってもまだ具体的に何を否定しているわけでもなく、
ただそこから逸脱すると何も語れなくなってしまうほど、
メディア的な認識に依存しながら
語っているような気にはなるということかも知れず、
できればその依存状態を断ち切りたいのだが、
すべて断ち切ってしまうと何も語れなくなってしまいそうで、
断ち切りたくても断ち切る気になれないような、
そんな中毒症状も想起できるような事態になっているのだろうか。
それこそがおおざっぱで否定的な言い回しであり、
できればそういうメディアに対する否定的な認識から
逸脱したいのかも知れず、
無理にもそうしたいわけでもないのだろうが、
否定的に語るだけでは駄目なような気がしてくるわけで、
かと言って肯定的にメディアを礼賛する気にもなれないし、
語る対象からメディアを少しずらさないと、
これまで通りの言い回しから逃れることができないのだろうか。
その肯定的または否定的な煽り立てから生まれる認識が、
世の中の現状を的確に捉えているとは思えないから
メディアに対する不信感が生じ、
煽り立てる必要のないことを煽り立てているようにも思われ、
そういう無理な盛り上げについて行く必要を感じられなければ、
それについて何も語る必要もないことに気づいているのかも知れず、
そうであるなら黙ればいいことでしかないのだが、
メディアへの依存体質から抜けきれなければ、
否定的な言い回しを使ってでも語ろうとしてしまうのではないか。

表面的にはそれ以上も以下もなく、
表面的なこと以外は何もないのかも知れず、
ただ語られている表面で語るしかなく、
それ以外は何も語れなければ、
そこで終わりなのかも知れないが、
終わりというのが終わりのない終わりであり、
常に何かを過剰に煽り立てていないと、
メディアは存続できないのであり、
とにかく話題を提供することで存続しようとするわけだから、
それが話題となる限りにおいてメディア的な言説を構成していて、
その言説の中にメディア特有の認識があるように思われるわけで、
様々な話題に応じて様々な認識が語られているように思われれば、
それで構わないのだろうし、
何も不信感を抱くような成り行きにはならないのかも知れないが、
実際にはそうではないのだろうか。
当然メディアはそれに関心を持つように仕向けているのだろうし、
関心を抱いてほしいから世の中の話題として取り上げるわけだから、
関心を集めるような話題を優先的に取り上げるわけで、
取り上げる話題がセンセーショナルなことばかりなら
なおのこと好都合だろうが、
そんな感情を煽り立てるようなことばかりではなく、
何かほのぼのとした話題も取り上げるだろうし、
また真面目に考えてほしいような社会問題も取り上げるのだろうが、
例えばそれらの中に
人々が知ってもらっては困るような話題が含まれているだろうか。
メディアにとって不都合な話題をメディアが取り上げるだろうか。
メディア同士が敵対関係を装っていれば、
敵対しているメディアが困るようなことを取り上げるだろうが、
では味方や自身が困るようなことを自ら取り上げるだろうか。
それも成り行きによっては
取り上げざるを得ない場合も出てくるだろうし、
たぶん絶対に取り上げないような話題というのはなく、
様々な種類や傾向のメディアが世の中にはあるわけだから、
全体としては結構ありとあらゆる話題が網羅されているのかも知れず、
人々の好みや関心に応じて様々なメディアがあることになっていて、
そういう点では何も文句などつけようがないのかも知れないが、
それでもそんな現状に逆らって、
それらのメディアへの依存から脱して何を語れるだろうか。
語ろうとすることがメディア的な行為なのだから、
そういう意味でメディア依存を
解消することなどできはしないのだろうが、
何かを語ろうとする限りは、
語る必要もないのに語らされている状態に逆らって語りたいのであり、
そのメディアに依存しながら語らされている状態から
抜け出るために語ろうとするのではないか。
少なくとも養殖いけすの中で飼われている魚のように、
餌を投げ込まれて
群れをなしてそれに食らいついている光景は拒否したいのだが、
煽り立てる画面に視聴者のコメントが大量に流れる動画を観ていると、
そんな光景を思い浮かべてしまうわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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