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彼の声 2017.1.18 「精神力の強化」

2017/01/19

人の身体は精神という牢獄に閉じ込められている、
と言うのは隠喩でも何でもなく、
精神というのが社会の慣習や制度から作られていて、
その慣習や制度を規範として守らせるように、
精神が絶えず監視の目を光らせていて、
身体はそんな精神の支配から逃れられないように思われるわけだが、
そこからの逸脱は誰もが経験することかも知れず、
四六時中精神に従ったままだと疲れてしまい、
不意に身体が意図しない動作を起こすことがあるわけで、
そんなふうに勝手に身体が動いてしまうような時は、
意志の力で身体を押さえつけていたのが限界に達していて、
そんな時には身体の勝手な動作に従っておいた方が
身のためなのかも知れず、
それを意志の力で無理に克服しようとすると、
身体に過度な負担がかかって、
病気に罹ったり怪我をしたりして、
結果的に寿命を縮めることにもなって、
そんなことをしてまで何かを達成しようとするのは、
まさに精神力の賜物なのかも知れないが、
それを強いているのが
虚栄心や名誉欲をもたらす社会の慣習や制度だとすれば、
例えば戦時中の神風特攻隊の人たちが精神力を強調していたのも、
納得の行くところだろうか。
彼らの場合はそうやって名誉の戦死を遂げたわけだが、
そんな極端な例を持ち出さなくても、
過労死とか癌や他の生活習慣病で早死にする人などは、
単に意志の力が弱くてそうなるというよりは、
社会の慣習や制度に従ったままだと、
普通にそうなるのかも知れず、
もちろんそうならない人もいくらでもいるわけだが、
何かの巡り合わせでたまたま
その人にストレスが集中するような役割が回ってきてしまい、
周囲の人間関係や職場の状況から、
逃げ出すことができない立場となって、
結果的にストレスを一身に背負いこんで、
自滅してしまうケースというのが結構あるのかも知れず、
それが自殺の原因とかにもなるのだろうし、
そういう成り行きになるのが嫌なら、
精神や身体を鍛えるよりは、
逃げ足を鍛えておいた方が賢明なのかも知れないが、
果たして逃げ足が鍛えられるのかといえば、
それでは隠喩的な表現に逃げているようにも思われるし、
正直に言って何を鍛えたからといって、
そういう成り行きを避けられるわけでもないだろうし、
自己を鍛えるというよりは、
その場で外部を意識できれば、
外部と自己との関係の中で、
外部から自己に犠牲を強いるような作用が及ぼされていることに
気づけるのかも知れず、
それに気づくことができれば、
その場に残るかその場から逃げるかの判断を下す機会が
訪れていることを知るに至り、
そこで精神がもたらすこだわりを捨てて、
身体の動きに身をまかせられれば、
うまくそこから離脱できるのかも知れない。

結果的には運が良かったり、
また勘が鋭く機会を逃さなかったり、
あるいは単にその場の成り行きに身をまかせているだけで、
自然とうまい具合に事態が好転していって、
気づいてみれば何事なかったかのようになっていたり、
勝手な解釈に施せば何でもありかも知れず、
そんなふうに結果から振り返って何が起ころうとも、
全てを都合の良いように受け止めることなどできないかも知れないが、
そうだとしても自分で自意識を全面的に信用するのには
絶えず危険が伴い、
社会と自分との関係から自意識が構成されるわけだから、
自意識は自分の意向だけを優先しているわけではなく、
同時に社会の意向も優先している面もあるわけで、
もし自分の意向と社会の意向が同一方向を向いていて、
一体化しているように思われるなら、
それは社会で主導権を握っている勢力に
自分が取り込まれている証拠かも知れず、
要するにそんな自分は保守派に属していると認識しているわけだろうが、
たとえ自分が社会の意向とは逆方向を向いているように思われようと、
それでも社会の中で生かされている現実があるわけだから、
別に社会から疎外されているわけではなく、
社会の意向とは逆方向を向いていると思わせるような何かに
取り込まれていると思っておいた方が無難かも知れず、
その何かというのが仮に反体制的な社会勢力だとしても、
時としてそんな勢力が
自分に犠牲を強いるような作用を及ぼしてくることもあるだろうし、
それに関してまた極端な例を持ち出すなら、
テロリストの自爆攻撃というのはまさにそれで、
全てがそういうわけでもないだろうが、
そこでも試されているのは相変わらず精神力であり、
どのような集団であれ犠牲的な組織への忠誠心といった類いは、
個人の利害を超えた精神力が求められているわけで、
精神力の強化というのは、
いかなる時でも身体を精神の牢獄へと
閉じ込めたままでいられるように、
牢獄の強度を高めるための鍛錬であり、
常に身体が精神の言うことを聞くように訓練するわけだから、
その精神が何らかの集団と固い絆で結ばれているようだと、
自らの生死より集団の意向が優先されるだろうし、
その集団の存続や繁栄のためなら、
どんな過酷な要求にも従おうとするだろうし、
どんなむごい仕打ちにも耐え、
どんなひどいこともやってのけようとするのではないか。
そういう意味で何らかの集団が何らかの訓練によって、
その構成員の精神力を鍛えるようなことをやっていれば、
それは構成員のためというよりは
集団そのものの力を強化するためであり、
その訓練の内容が人を人として扱わないようなものなら、
なおさらそういう集団に入るのは
命がけの危険を伴うことを覚悟しなければならないだろう。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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