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彼の声

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彼の声 2017.1.17 「レッテル貼りの果てに」

2017/01/18

人が人である限りは人でしかないわけだが、
人について考えるときには、
人であるだけではなく、
その人が世の中で何をやっているのかを考慮に入れないと、
思考の対象とはならないだろうか。
だがそうなるとその人のやっていることについて、
あれこれと考えたり思ったりすることになり、
それでは人と言うよりは対象が特定の人物になるわけで、
そうやって何らかの固有名で呼ばれている人物に
対象が特定されてしまうと、
それについての思考は他の人物には適用できなくなるから、
思考の対象は人一般ではなくなってしまうわけだが、
では人一般について思考するときはどうなるのかと言えば、
誰にでも当てはまりそうな共通の性質や習慣などについて
思考することになるだろうか。
しかしそれにしてもどこかで境界を設けないと、
考える内容によっては漠然としすぎて、
焦点がぼやけてしまいそうだが、
それについては世間一般で通用している
ありふれたカテゴリーを適用すれば、
何かもっともらしいようなことを考えていることになるのかも知れず、
例えばその対象を日本人とかアメリカ人とか、
特定の国籍を有する人に限定して、
その国に特有な価値観や生活習慣や風習などについて考えてみるのも、
メディア経由で伝えられるその国についての
先入観とか偏見とかに合致したりして、
何やらもっともらしい思考内容になるだろうか。
他にもありふれたカテゴリー分けの例としては、
性別や職業別や年齢別や年収別や血液型別など、
興味を引くようなカテゴリーが結構ありそうだが、
何か特定のカテゴリーに属する人には、
共通の特性があるかのように考えてしまうと、
場合によっては差別意識の助長につながってしまいそうで、
果たしてそれで人について考えていることになるのかと言えば、
否定的にも肯定的にも暇つぶし的にも、
人を何らかのカテゴリーに入れて、
一般に流布されているそのカテゴリー特有の
類型化された性質を押しつけて、
その人が何者であるかを特定して安心したいのではないか。
要するにその人にレッテルを貼り付けたいわけで、
それも思考的な単純化の類いなのだろうが、
そういうやり方には何が欠けているのかと言えば、
その人特有の個人的な事情が欠けていて、
しかもそこからその人特有の性格や思考が生じていれば、
その手のレッテル貼りは間違っていることにもなるが、
レッテル貼りそのものがこじつけ的な意味合いもあり、
その人にどんな事情があろうとも、
レッテル貼りからこじつけ的に
性格などが説明されてしまう場合もありそうだ。

レッテル貼りは本気でやる人には悪意がこもっていたり、
軽い冗談のつもりならからかい半分なのだろうが、
他人の批判的な言動に対するあげ足取りとして、
それをレッテル貼りだと決めつける手法もあり、
どういう場面で使うにしろ、
そうやってこじつけたり決めつけたりした他人に対する評価を、
その他人の意向を無視して押し通したいわけで、
そういう意味では聞く耳を持たない人特有の
攻撃的な戦術と言えるのかも知れず、
世の中で他人への寛容な気持ちが薄れてくると、
そういう風潮が蔓延して
何かぎすぎすした世相になってくるのかも知れないが、
それが必ずしも悪い傾向とは言えない面もあるのかも知れず、
他人を攻撃する気があるのなら、
まだ戦うことをあきらめてはいないわけで、
完全に戦意喪失して体制的な脅しに屈したならば、
もはや誰もが黙ってしまって、
いくらレッテル貼りされようと
誰もむきになって刃向かってこないわけだから、
悪意のこもったレッテル貼りに立ち向かう人がいたら、
まだその種の戦いが続いている最中かも知れないが、
その一方で他人の誠実で真面目そうな批判を、
レッテル貼りだと嘲笑する輩が目立ってくるようなら、
心のねじ曲がった卑劣漢が優勢な
世の中になってきたといえるだろうか。
ネット上ではその手の人たちの言動が目立つ傾向にあるのかも知れず、
それがそのまま現実の世の中に当てはまるわけでもないのだろうが、
そうした印象をある程度は真に受けて、
それに関して何かを語りたい人もいるわけで、
そういう不快な傾向もある程度はないと、
他に何も語ることがなくなってしまうわけでもないだろうが、
そんなたわいない状況の中でうごめいている人たちが、
世の中に波風立てているつもりになれれば、
とりあえずはそこで何かが行われていることになり、
別に人も社会も無駄に存在しているわけではなく、
少なくとも何かの役には立っていて、
その何かというのが人に心地良かったり不快だったりする
幻想をもたらす役目を果たしていて、
しかもそれが暇つぶし以上の
肯定的あるいは否定的な実感を伴っているなら、
もしかしたらそれを目標にして人は生きているのかも知れず、
それを追い求めることを生きがいに感じていて、
それを手に入れるのを目的とした競争やゲームが、
世の中で繰り広げられていることになっているのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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