文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.29 「善悪の彼岸」

2015/12/30

人が興味を抱く対象について思考するとき、
思考した結果として導き出された認識が、
その対象を語る上での内容となるだろうが、
特定の何かについて語ろうとすれば、
それを肯定的に評価したり、
否定的に評価する成り行きにはなるだろうし、
その対象を肯定したり別の対象を否定したり、
あるいは語る対象の肯定的な部分と否定的な部分を区分けしたり、
評価するとは何らかの基準に基づいて
そこに差異を設けることになるわけで、
何かについて語ることは
そういう動作を含んでいる場合があるだろう。
もちろん語る内容はそれだけではないだろうし、
そのような肯定あるいは否定の評価とは別に、
そこで対象そのものを説明しなければならず、
ただ終始それを説明するだけに
とどまろうとする語りも可能なのではないか。
要するに評価せずに、
語る対象を肯定も否定もしない態度というのがありそうだ。
その場合は積極的に肯定も否定もできない対象について
語ろうとしているのかもしれず、
それで構わないような立場であったり、
そんな姿勢をとる理由としては、
その対象とは直接の利害関係にない場合があるだろうし、
ではなぜ利害関係のない対象について
語ろうとするのかといえば、
利害関係とは別の方面に興味があるからだろうか。
人もその人が語る対象も、
同じ世界の一部であるからには、
直接的であれ間接的であれ、
わずかではあっても、
そこに利害関係を見つけ出すことができるかもしれないが、
それよりも重要に思われる関係を見出すことができれば、
何も利害関係の面から語る必然性を感じられなくなるだろうし、
利害を重視しなくても、
それとは別の方面から語った方が興味深く思われるなら、
そちらの方面から語ろうとするだろうし、
語る対象からそのように語れる可能性を
感じ取っているのかもしれない。
そしてそのような可能性に導かれながら
語っている現状があれば、
それに従いながら語れば、
より一層対象の本質に迫ることができるかもしれず、
そのような語りから確かな感触を得られるなら、
改めて別の方面から語る必要も感じないのではないか。
しかし利害関係とは別の関係とは具体的に何なのか。
また肯定や否定の評価を伴わない対象とは何なのか。
それは他と比較することが意味をなさない対象だろうか。
たぶんこの世界全体について語ろうとするなら、
他がないから比較も肯定も否定もできないだろうし、
利害とは別のことについて語らなければならないだろうか。
逆に考えるなら、
この世界の一部分を切り取って、
それを対象として語ろうとすると、
他の部分との比較が可能となり、
その部分と比較して肯定したり否定したり、
そこから利益を得ているなら、
他からは利益を得ていないことになるかもしれず、
そうやってこの世界の一部分との利害関係が生じるだろうか。

何かについて語る上で、
語る対象を特定すると、
そこに焦点が当たることになり、
他との違いを語ることになるだろうし、
それを肯定的に評価すれば他を否定的に評価したり、
またその逆もあるだろうし、
そんな肯定否定の指標となる基準を設ければ、
そこから語るターゲットとなる対象と、
それと比較する他の対象との差異が明らかとなるだろうか。
そしてその比較の前提となる指標や基準を明確に示せれば、
なにやらその語りに説得力があるように思われるのではないか。
だがそのような語り興味がなければ、
それとは違う別の何かについて語る余地が生まれる。
世界の一部分だけ切り取って、
それについてだけ語るのは、
ある意味でずるいのではないか。
正義を語り語っている自らを正当化するとき、
そうすることで他の面については
あえて語らないことの欺瞞を回避できるだろうか。
それと同時に正義や自己正当化から生じる欺瞞についても語らないと、
話の整合性が取れないのではないか。
そういう意味で話の内容を信じさせてはまずいのかもしれず、
それが信仰に結びつくような内容は避けたほうがいいだろうか。
一方的な善や悪について語ってはまずいだろうし、
何が善で何が悪かの決めつけは周到に回避すべきかもしれない。
それが世間的に悪い行為だと見なされている状況があるなら、
そう見なされている経緯について説明すべきだし、
そのような行為に至った過程についても説明すべきだろうか。
たぶん興味深いのは善悪の判断ではなく、
善悪の判断がなされる経緯であり過程なのであり、
人が世間的に悪いと見なされる行為に至る説明なのだろう。
だから別に語りの中で
対象を非難したり糾弾したりする必要はないのであり、
一方的に悪だと決めつけ、
決めつけている自らに正義があるように見せかけたり、
語っている自らを正当化するには及ばないのだろう。
それこそが語りの範疇から逸脱しているのかもしれず、
誰かがひどいことをやっているように感じられるなら、
そのやっている行為を説明すればいいだけで、
それをひどいだの許せないだのと、
わざわざ自分の感情に基づいた感想を述べるまでもなく、
語っている対象にも、
それを語っている自分にも肩入れすることなく、
中立的に語れば済むことで、
場合によってはそこに
肯定や否定の評価を挟む余地もないのかもしれない。
とりあえずは善も悪も肯定も否定も、
それら全てを含んでいるのが、
この世界そのものなのだから、
この世界で行われていることのすべては、
それをやることができるからやられているわけで、
誰もやるのが不可能なことはやっていない。
つまりそれをやっている現状があるのだから、
たとえそれがひどい行為だろうと、
そのひどい行為をやれる状況があり、
それをやめさせることができない現実があるわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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