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彼の声

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彼の声 2015.12.27 「政治的な解決」

2015/12/29

少し謙虚にならないといけないだろうか。
国家の力を侮ってはならず、
政治力で問題を解決させる能力があることが
証明されつつあるのだろうか。
しかし何が問題となっていたのだろうか。
だいぶ昔のことなのでもう忘れてしまっているかもしれないが、
たぶん大したことでもなかったような気がしていて、
無理に対立を煽り立てなければ
容易に解決する問題だったのではないか。
そしてそれがどうしたわけでもないことに
誰もが気づき始めるまでに、
大して時間がかからないことが証明されてしまったのだろうか。
そうなってしまえばもう問題なども解決したも同然だろうか。
それで解決したことになるなら、
大した問題ではなかったのだろう。
騒ぎ立てて対立を煽るほどのことでもなかったわけだ。
それでどちらかの面子が潰れるわけでもなく、
双方が痛み分けとなるわけでもなく、
元から大した問題でもなかったことが明らかとなったのだろう。
しかしこの世界で政治的に解決すべき
大した問題と呼べるような問題があるだろうか。
いくらでもあるのかもしれず、
未だ解決できていない問題がそうなのかもしれないが、
それも解決に向けて様々な方面で協議が行われているとすれば、
それらの問題もいずれは解決する可能性もありそうだ。
それはただそういうことでしかないのだろうか。
問題化している問題ならそういうことなのだろう。
一方で問題化していない問題というのが果たしてあるだろうか。
そもそも問題化しなければ問題とはならず、
別にそれを政治が解決するようなものでもないのではないか。
具体的にそれはなんなのか。
例えばそれはフィクションの問題であったりするだろうか。
歴史認識の問題などは虚構の問題に属するのではないか。
それに関してはおおもとの西洋と東洋の対立図式自体が
フィクションであるだろうし、
古代にさかのぼって何が文明の起源であろうと、
それが現代にそのままつながっているわけでもないのだろうから、
現状の世界情勢に過去の歴史的な経緯などをいくら絡めても、
過去は過去であり現代は現代で、
現代において認識している歴史的な経緯が問題となるだけで、
過去の恨みつらみなど他人事として突き放してみるしか、
妥協がはかられるきっかけは生まれないだろうし、
別にそれで妥協したとしても、
そんな妥協にどんな意味もないだろうし、
そこに否定的な感情を挟む余地などないのではないか。
歴史的な経緯から生じるフィクションに思い入れがあるとしても、
それはフィクションとみなして済んでしまうことで、
現実は現実として別にあると考えておいた方が、
少しは冷静な現状認識に至れるだろうか。
実際には利害の絡んだ打算がつきもので、
損得勘定から妥協がはかられる傾向にあるだろうし、
政治的な交渉などそんなものでしかないのだろうし、
政治的な解決もそんな範囲内で行われるのではないか。
もちろんそれ以外の何が求められているわけでもなく、
それで構わないわけで、
何も否定されるものではないだろう。

その一方でフィクションは解決を必要としない。
それは問題ではなく虚構なのだろうし、
虚構であるがゆえに問題とは違う位相があるだろうか。
いつまでも数十年前の戦争にこだわりたいのも、
そこにフィクションとしての魅力が見出されているからだろうか。
では人はフィクションとして構成された戦争から
何を得るに至るのだろうか。
それが史実に基づいた戦争なら、
当時の歴史的な背景でも知ることになるだろうか。
例えば戦争を題材とするフィクションから
戦争以外の何かを得ることになるとしたら、
それは何になるだろうか。
人それぞれで異なるだろうが、
戦争も人が集団で行う活動の一つであることは確かだろうし、
集団で殺し合うのも人の社会的な習性には違いなく、
そうやって社会を絶えず活性化してきた歴史があり、
それを契機として人類の文明も
新たな段階へとステップアップしてきたのだろうか。
それは集団での殺し合いを抑制するような効果と、
促進する効果の両方を同時に生み出してきたのかもしれず、
無駄で無意味な殺し合いを避けて、
そこにはより効率的で効果的な殺傷を目指すように、
戦闘そのものを進化させる傾向があるだろうし、
それは戦術や戦略面での工夫であると同時に、
兵器や武器の戦闘局面での用途に合わせた改良をもたらし、
よりスマートかつ迅速な
戦闘行動を促す結果をもたらしているだろうか。
要するにそれは戦争の目的に応じた専門化と細分化を促進させ、
専門的な知識と技能を必要とする
戦闘に特化した集団の編成が要請される結果を招いているだろうか。
そうしたプロ集団に対して、
一方では義勇兵的なアマチュアの戦闘集団も存在しているだろうし、
世界の紛争地帯では
両者が混在している事態となっているのではないか。
たぶん戦争に幻想を抱いているのは、
そうしたアマチュアの戦闘集団だろうし、
彼らはフィクションとしての戦争から幻想を得ているのかもしれず、
戦闘に参加している自分たちが、
何か崇高な大義のために戦っているような
幻想を抱いているのではないか。
そしてそれをもたらしているのが歴史認識だろうし、
彼らにとっては過去の歴史的な経緯が現代にもつながっていて、
それが例えば西洋文明の侵略から、
自分たちのアイデンティティを取り戻すための戦いとみなされたり、
過去においては西洋以上に栄えていた文明を再興させることが、
自分たちの使命であり大儀であると思い込んでいたり、
そういう幻想を戦争に絡めると、
やはりそれは現実以上に魅力的なフィクションとして
戦争が機能するのではないか。
そういう意味で彼らは戦争によって
社会を活性化しようとしているのであり、
その自覚がなくても彼らの思考や活動が
人の社会的な習性を示しているのだろう。
果たしてそんな彼らに政治的な妥協の余地があるだろうか。
たぶん崇高な大義を信じている限りは
聖戦を遂行しているつもりだろうし、
損得勘定をもとにした打算や妥協は許されないかもしれないが、
それが建前で本音が違うところにあるのだとすれば、
まだ政治的な解決の可能性もあるだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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