文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.24 「現状の把握」

2015/12/26

語る対象を否定したり批判すればわかりやすいだろうが、
あえてずれた結果をもたらすことを恐れずに、
支持や共感を得られないようなことを、
わざと語っているわけでもないだろうが、
結果的にそうなってしまうとすれば、
それはまだよくわからないことについて語っていて、
うまく説明できないことを説明しようとしているのかもしれず、
これからもそんなことが繰り返されるだろうか。
他人が関心を抱いている事象について
ケチをつけようとしているわけでもないのに、
結果的にそう受け取られるようなことを述べているのかもしれず、
沈黙をもたらすために攻撃を加えているように思われるとしても、
魅力を感じられなければ無視をもたらすだろうし、
意味不明なことを述べながらも、
意味をもたらそうとしているように感じられるとしたら、
たぶんそこに意味を見出しているのではないか。
語ることに意義があるとしたら、
それは幻想や勘違いではなく、
本当に意義があるのかもしれず、
そう語ることによって、
何らかの理解に至りたいのかもしれない。
今は理解していないかもしれないが、
いつかは理解する気でいることは確かかもしれず、
それを今も理解しようとしているのではないか。
そして何を理解しようとしているかは、
それは今語っている内容となるのだろうか。
そこからずれて、
言葉を組み合わせながら何か語ろうとしていて、
それが適切な表現とはならないかもしれないが、
やはり他からの支持や共感を得ようとする行為とは違い、
まずは自分の理解から外れようとして、
思いがけない理解を期待し、
自分がそう思うのではなく、
文章上に構成される内容が、
それを読んでいる誰かに思いがけない理解をもたらし、
その誰かの中に自分が含まれないとなると、
その自分とは別に、
文章上で語っているように構成される語り手も、
理解の範疇から外れてしまうのかもしれず、
自分がそうしようとしているのではなく、
語り手もそう語っているのでもないのに、
文章を読むとそう思われることを期待しているわけでもないのだろうが、
それがよくわからないことなのかもしれない。
そしてわからないまま文章を記しながら、
思いがけない内容になるのを期待しているとしたら、
それこそが勘違いの幻想なのだろうし、
別にそれを実践しようとして書き記しているのではないのだろうが、
結果的にそうなるようにしたいわけでもないのに、
なぜか自らが書き記しつつある文章の内容を、
自意識は理解しようとしない。
自分から外れるとはそういうことだろうか。
現実にはそんなはずがないのだろうが、
そうなることを狙っているわけでもないのに、
語り手がそれを期待しているような内容となってしまえば、
結果的にはそう感じられるのだろうし、
実際にそんなことを記している現状があるとすれば、
自意識にとっては思いがけないことなのではないか。
果たして記された文章の内容は、
実際にそうなっているのだろうか。
そんなことはないと思いつつも、
幾分かはそれを期待しているようで、
後からそれを読み返してみるのが
楽しみというわけでもないのだろうが、
そんなことを思いつつも現状を把握しようとする。

まだ現状の何が終了しているわけでもないのだろうが、
終わらないまでも終わった気でいたいのだろうし、
何かを終わらせようとしていることは確かかもしれない。
少なくとも語っているつもりでいる以上は、
それについて考えているわけではなく、
考えていないことを語っているつもりで、
実際には言葉を記しているのだろうが、
たぶん考えてしまうと語れなくなり、
語れなくなると文章が成り立たなくなり、
結果的に記述が停滞していることになるわけだが、
今はそれを楽しむ余裕が感じられず、
ただそれを語っているように見せかけたいのだろうし、
具体的には何について語っているのかはっきりしないにもかかわらず、
それを意識しないまま言葉を記しているわけで、
それは少なくとも他人の語りに
ケチをつけようとしているのではないにしても、
何か軽い気分を装いながら、
世の中の情勢に対する批判から逸脱しようとしているようで、
自意識の狙いはそこにあるのかもしれないが、
そこに至らずに語りが継続されてしまいそうで、
意識して批判を避けているのではないだろうが、
現実的に批判する状況にないことも確からしく、
何を批判するつもりもないのだろうし、
具体的な批判の対象を素通りしながら、
それを無視するでもなく眺めているつもりで、
なおかつ言及は避けているのかもしれない。
その必要がないわけではないのだろうが、
今さら何を批判する気も起こらないとは言えないし、
批判すべきことは山ほどあるにしても、
それを批判してはまずいような気もして、
あえて批判せずにおいた方が、
現状の理解につながるような気もするわけで、
聞く耳を持たない人たちが、
実際に政権批判を続けた結果が
現状を醸し出しているのかもしれないが、
ならば他にどんなやり方があったのかと問われれば、
こんな成り行きになるしかなかったのだろうし、
それで構わないのだろうし、
結果から見ればなるべくしてなった結果なのだろう。
しかもそれで構わないわけで、
状況的には予定通りの結果なのかもしれず、
愚かな人たちが徐々に黙り始めれば、
それに越したことはないだろうし、
誰がそうなることを狙っていたわけでもないだろうし、
結果的にはざまあみろかもしれないが、
それでいいわけで、
さらにそのざまあみろ感が増長するにしても、
増長させるのが無意識の狙いとも言えるわけで、
誰がそうなることを狙っているでもないのに、
結果的にそうなってしまうなら、
やはりそれが狙い通りの結果なのだろうし、
それを目指してそうなったわけでもないのだから、
それは思いがけない結果がもたらされている
と捉えた方がいいのではないか。
世の中の状況や情勢は常にそうやって作り出されるのだろうし、
誰がどんな意図を持って作り出しているのでもないのに、
結果的にそうなってしまうわけだ。
そして今後ともそんなふうに状況は推移するのだろうし、
誰の思惑通りでもなくそうなっていくのだろう。
そんな自然の成り行きに逆らうのは愚かだろうし、
愚かであっても構わないのだろうが、
愚かであれば愚かなりの理解を得られるのではないか。
そしてそれが何の理解であるかは、
実際に愚かな行為を続けている人にしかわからないのかもしれない。
だからそれをわざわざ批判する必要はないのかもしれず、
よくわからないことにしておけば事足りるのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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