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彼の声

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彼の声 2015.12.23 「韓国終了!中国終了!」

2015/12/25

単純な予言などすべきではないかもしれないが、
どうしても何かの終わりを予言せずにはいられないのが
世の中の風潮かもしれず、
対立しているつもりの近隣諸国の経済情勢が悪化すれば、
そら見たことかと終了!終了!
と叫ばずにはいられないわけではないのだろうが、
一方で日本政府や議会与党の政策のまずさを言い募って、
近い将来に起きるだろう日本の終了を
予言せずにはいられない人たちもいるのかもしれず、
あるいはまた原発事故が起こる危険性を指摘しながら、
それに絡めて日本の終了を予言する向きもあるだろうが、
それらの人たちは無意識のうちに終わりを望んでいて、
その終わりへの期待というのが、
その裏返しとしていつまでたっても終わらないことに対する、
漠然とした不安があるのかもしれず、
自分の意に反して執拗に繰り返される事象に対する嫌悪感や、
それがこのまま延々と繰り返されるだろう不安から逃れるために、
不安を掻き立てる事象の終了を
予言したり断言する心理的な動作が生まれるのだろうか。
それを多くの人たちが強迫神経症に罹っていると見なせば、
話が単純化されてしまうのだろうが、
仮にそんな終わりが訪れたからといって、
それは本当の終わりとなるのだろうか。
たぶん仮の終わりには続きがあるだろうし、
それが終わりではないことは証明されてしまい、
落胆した人々はまた新たな終わりの予言を
捏造する羽目になるのかもしれず、
要するに終わりはいつまでたってもやってこないが、
そこで絶えず繰り返されるのが、
終わりの予言と断言になるわけで、
いつまでたっても終わらないことから生じる不安を紛らわすために、
人は終わりを期待せずにはいられないという心理状態から
よりいっそう逃れられなくなるだろうか。
そういう意味で終わりを予言したり断言する人たちは、
心弱き愛すべき人たちなのかもしれず、
韓国終了!中国終了!とネットに書き込まずにはいられない人たちも、
このままでは独裁政治によって日本が終了してしまう
と危機感を煽っている人たちも、
基本的には同じ類いなのだろうし、
しかもそれらの人たちの意に反して、
何も終わらないとすれば、
そんな終わらなさ加減が、
この世界の真の姿を表しているのかもしれず、
その特性こそが多くの人を
そんな心理状態へと追い込んでいるのだろうか。
そして何かが終わることで、
自分がその中にいる状況に区切りがつき、
それ以降は新しい世界が始まるかのような幻想を抱いてしまうのも、
この世界がもたらす心理作用なのかもしれず、
酷い世の中を終わりに導く救世主の出現を待ち望む心理なども、
その類いになるだろうか。
そんなふうにして人は実際に体験しつつある現状に、
願望としてのフィクションを重ね合わせて、
終わりなき日常をやり過ごそうとするのかもしれないが、
それが果たして錯覚や勘違いであるのかないのかは、
終わりが来ない間は錯覚や勘違いであり、
実際に終わりが来て初めて真実となるわけか。

だが実際には何をもって終わりとみなすかが、
終わってみないことにはわからないかもしれず、
仮にそれを終わりだとみなしても、
そのあとに続いてしまえば終わりではないだろうし、
そのあとに何かが続いてしまう現象があるとしたら、
それが本当の終わりだと言えるだろうか。
そういう意味で終わりを予言したり断言することに、
大した重要性はないのかもしれず、
それを予言したり断言することで、
自らの不安な心理状態を紛らわす効果しかないとするなら、
それは内面的な自己満足をもたらすだけで、
それに同調しない人にとっては何の気休めにもならず、
うちわで終了!終了!と確認し合うだけでは、
たぶん状況的に何がどうなったわけでもないのではないか。
とりあえずその手の安易な予言や断言を繰り返していれば、
あとは何もやらなくていいというのなら、
それを流行らせればそんな予言や断言が行き交う世の中になるわけで、
そういう世の中の方が居心地がいいというのなら、
そういう人たちの天下となるのかもしれず、
そんな予言や断言が延々と繰り返されるとすれば、
それもある意味で終わりなき状況なのだろうし、
終了!終了!と叫びながら、
終了を叫ぶ行為が終わりえないというのは、
要するに終わりの無限循環という様相を呈することになるのだろうか。
現実に終わりえなければ、
終了!と叫ぶ行為も廃れて、
また別の予言や断言が流行するのかもしれない。
それでもまた別の予言や断言が流行るとしたら、
予言や断言が延々と繰り返される状況が終わりえず、
そんな終わりえない状況に不安を覚える人たちが、
それを紛らわすために
ひたすら予言や断言を繰り返すという悪循環が
待ち受けていたりするのだろうか。
そうなるとやはり終わらない状況の無限循環に陥り、
それらの予言や断言が錯覚や勘違いであることが
証明されてしまいそうだが、
現実には錯覚や勘違いに気づかないことが
証明されてしまうのかもしれず、
果たしてそれでも予言や断言が終息する気配がなければ、
予言や断言が錯覚や勘違いからもたらされ、
しかもそれに気づかないまま予言や断言を繰り返すしかないのであり、
そんな人たちの行為によって錯覚や勘違いが証明されているのに、
行為に励んでいる人たちは、
自分たちの行為によって、
自分たちの行為が錯覚や勘違いであることが証明されているのに、
それが証明されていることすら気づかずに、
ひたすらその種の予言や断言を延々と繰り返す羽目になるのであり、
そのような行為によって、
終わりが永久に訪れないことも証明していることにもなるのだろうか。
もちろん話の途中から何かと何かを混同して、
意図的にはぐらかしているから、
そんな結果を招いているのだろうが、
ともかくそんなごまかしの範囲内では、
終わりを予言したり断言するのは愉快な行為なのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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