文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2015.12.22 「結論」

2015/12/24

大した目的意識もないまま、
ただ語っているつもりの現状を維持しようとすると、
語る必然性を感じられないようなことを、
無意識のうちに語ろうとしているのかもしれないが、
語ろうとする限りは、
あえてその必然性を装うしかないだろうか。
実際には何を深刻ぶって語りたいのでもないだろうし、
その必要がないから語る必然性を感じられないのだろうが、
例えばそれを現状に結び付けない限りは、
何を語ろうと無関心の範囲内に収まるだろうか。
しかも現状に対して危機感を煽らない限りは人の関心を惹かず、
人は過去と現在を結びつけて、
将来の危険性について大げさに騒ぎたいのかもしれず、
そうすることによって他の人たちの関心を惹きたいのであれば、
いかに危機を煽り立てるかが語る上での問題となるのだろうが、
そうすることが目的と化せば、
それが語る上での技巧と結びついて、
危機感を煽り立てる上でお手本となるような語り方が
推奨されてしまうだろうか。
そんなお手本があればの話だろうが、
そんなものを無理に捏造しなくても構わないのだろうし、
その必要もないと感じれば、
目的意識とは無縁の語りを続けるしかなく、
誰に向かって語っているのでもない語りとなるしかないだろう。
そうなれば将来への危機意識など生じないだろうし、
思いがけず大げさな出来事に巻き込まれたところで、
平常心を保っていられるだろうか。
別にそこで平常心を保っている必要もなく、
大げさな出来事に遭遇したら驚けばいいのだろうし、
実際に驚くのではないか。
そこで目的が見出せなければ、
無理に先回りして事態に備える必要もないだろうし、
何に対しても目的意識と無縁でいられるわけでもないだろうが、
無理に関わろうとしなければ素通りできるような事象ならば、
そのまま無関心を装えばいいのだろう。
装わなくても無関心であればそれに越したことはないわけだが、
いやでも無関心ではいられなくなるような成り行きに
巻き込まれる時もあるだろうし、
そんな時には自分が巻き込まれつつある事態に
対処することになるだろう。
実際に誰もが現状でそうしているのだろうし、
誰もが自らに関わりのある事象に巻き込まれていて、
自分なりに対処しながら生きているわけで、
その対処の仕方も人それぞれに、
状況や情勢に応じてそれなりにやっているわけで、
そこに無理やり目的意識を設けなくても、
実際にやっていることが、
目的に沿ったやり方となっているのかもしれない。
そしてそれ以上に何か求めたいなら、
なにやらそれに関する理論を求めて、
その導き出された理論に基づいて、
やり方を洗練させるのかもしれないが、
それでうまくいけばしめたものかもしれないが、
何事も理論通りに事が運ぶことはまずないのかもしれず、
自らのやっていることを理論に当てはめる行為が、
自らを納得させたいだけの
人よがりな行為に結びついてしまうとしたら、
やはりそれも目的意識と同じように、
あまり必要のない余分な動作なのかもしれない。

何かをやりたいと願うことは、
それをやる目的を必要としているだろうが、
別にやりたくもないのにやっている場合は、
それをやらされていることになるかもしれず、
何によってやらされているのかわからなければ、
やはり目的を見いだせないことになるのではないか。
最初は何らかの目的があったのかもしれず、
やっているうちにそれが見失われて
どうでもよくなってしまったのに、
なおもそれをやり続けている現状があるとすれば、
要するに惰性でやっていることになり、
それで構わないならそのまま惰性でやり続けていればいいわけで、
もちろん何かをやっている限りは、
そこからやっていることに対する見返りを期待して、
そこから欲が出てくるわけで、
そんな欲得がらみで、
やっている内容が変容してしまうのはよくあることだろうか。
無意識のうちに結果を出そうとしてしまうのだろうし、
思い通りの結果を期待して、
それを出すのが目的となって、
そんなやっていることの目的化が、
時と場合によっては無理な動作をもたらして、
自意識過剰な思い込みや、
それを認めて欲しくて周囲への働きかけに発展したり、
そんな動作によって社会との関わりが生じて、
そうやって自らを取り巻く環境に対する
認識を深める結果となるのかもしれず、
自らの行為がどのような結果に至ろうとも、
それなりの変化を生んで、
その変化を感じ取ることができれば、
自らのやっていることに対する
幻想や自己満足も得られるのではないか。
それは単なる気休めに過ぎないかもしれないが、
初めからそれを求めていたわけでもなければ、
そんな思いがけない結果に驚いたり感動できるのかもしれず、
何が目的でもない行為をやり続けた甲斐もあるのではないか。
その逆に何か目的意識が生じていることに気づいているのなら、
その目的がどこから生じているのかを考えた方がいいのかもしれず、
その目的によって関心を抱かせるような作用に
さらされているのかもしれず、
それが社会からの同調圧力であったりするわけで、
何か世の中の共通の話題に関心を持つように
仕向けられていることを自覚していれば、
それほど危機感を抱くようなことにはならず、
それなりに冷静な対応が取れるだろうし、
それに気づかないまま危機を煽っている人たちの滑稽さにも
気づくかもしれない。
もちろんそんなことに気づかなくても構わないのだろうし、
他の人たちと一緒になって騒いでいれば楽しいだろうし、
楽しさがもたらされただけでも
騒ぎ甲斐があったことになるだろうし、
そうやって何かの渦中にいることは、
やっていることにもそれなりの意義を感じ取れるだろうから、
それだけでも何かをやる目的が達成されたことにもなるのではないか。
どちらにしても人は自らのやっている行為から、
何らかの結果を得るに至るだろうし、
それに気づかないこともあり得るわけで、
しかも気づかなくても構わなかったりするのではないか。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。