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彼の声

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彼の声 2015.12.16 「因果関係」

2015/12/17

何かと何かを結びつけて考えるとき、
その結びついていると思われる何かと何かが、
それぞれに別の何かに結びついているとしたら、
最初に考えていた何かと何かの結びつきというのは、
果たして他の結びつきと比べて重要な結びつきなのだろうか。
例えば戦争や経済危機が起こった時期は、
それらの起こっていない平和で経済の状態もよかった時期と比較して、
語る上でより重要性が増す時期なのだろうか。
戦争や経済危機が起こっていること自体が、
それに関わった国家的な指導層の
誤った政策や政権運営などを象徴していると言えるかもしれないが、
では平和で経済がうまくいっている時期の国家の政策や政権運営は
正しい方向でなされていると言えるだろうか。
国家の政権運営がうまくいっている時期とうまくいかなくなった時期は、
少なくとも時間的には連続しているのであり、
うまくいっている時期の後にうまくいかなくなった時期が続き、
さらにその次にうまくいくようになった時期が続いているとすれば、
戦争や経済危機が起こっている時期の政権運営だけが
間違っているとも言えないわけで、
もしかしたら平和で経済がうまくいっていた頃の政権運営が、
次の時代において
戦争や経済危機を引き起こす原因を作っている可能性もあるわけで、
戦争や経済危機や
それに伴って起こる国家主義的な独裁体制に至る遠因が、
その前の時代に発生していたりするかもしず、
しかもその発生を平和な時代では防ぐことができなかったのかもしれず、
また国家や経済の制度や仕組みが
戦争や経済危機をもたらすのだとすれば、
政権運営などでは防ぎようのないことなのかもしれず、
結果的には戦争や経済危機を招いたとして、
その時期の政治が槍玉に挙げられるにしろ、
それは物事を結果から見る限りで言えることであり、
では戦争や経済危機に至らないようにするにはどうすればいいか
という問題設定も、
それと同じような限界があるのかもしれず、
もちろん現状でもそうならないようにしているつもりなのだろうが、
そうならないようにしていながら
そうなってしまう可能性もあるわけで、
逆にそうなることを望んでいるのに
そうならない可能性もあるわけだが、
さらに現状で戦争や経済危機が
間近に迫っているように感じられるとしたら、
慌てて現政権の政治姿勢を批判したところで、
すでに手遅れなのかもしれず、
もっとだいぶ以前の段階で
今に至る萌芽を摘み取っておかなければならなかったのかもしれない。
もちろんそれがいつの段階でそうだったのかなんて
わかるわけがないのかもしれず、
どこで道を誤ったのかもわからないなら、
人に戦争や経済危機を防ぐ手立てなどないのかもしれない。
ではどうすればいいのかと考えている時点で、
すでに結果から原因を見ようとしているわけで、
そのような思考にはそれ相応の限界が付きまとうことになりそうだが、
ならばそれ以外にどのように現状を考えればいいのだろうか。

長い目で見ればそれは景気変動のようなもので、
地域的には戦争をしている時期と平和な時期が
交互に繰り返されている状況がありそうだが、
ただそうやって状況が長期的に変動するのが人類の歴史なのだとすれば、
人にはどうすることもできないような成り行きなのだろうか。
それをどうにかしようとするのが、
これも人類の歴史なのかもしれず、
過去の戦争に至った経緯を踏まえて、
今後はできるだけ戦争に至らないように、
何かと工夫を凝らしているわけで、
そのための地域的な和平協議なのだろうし、
国連の活動でもあるわけだが、
国内でも戦争に参加する危険性のある法整備に
反対する運動もあったわけで、
今後も何か事ある度にそんな活動が繰り返させるのではないか。
そういう動きは肯定した方がいいだろうし、
そのような反戦運動などに参加する機会でもあれば、
参加しておけばいいだろうし、
現状でできることはそんな類いなのだろう。
戦争の当事者ではない平和な地域で暮らしている人たちにとっては、
他人事でしかないし、
他人の問題でしかないわけで、
また戦争体験者の戦争体験もとりたてて特別な体験ではなく、
戦争に行けば誰でも敵を殺そうとするのが当たり前の日常になるわけで、
それを戦争を体験していない人には共有できないのも当たり前のことで、
戦争体験をいくら想像してみても、
戦争の悲惨さをいくら訴えてみても、
また戦争の資料や戦争映画などのフィクションを観ても、
それと実際に体験とは違うのだろうし、
どこまでも他人の問題であり、
他人の体験であり、
それがフィクションととなると他人の物語となるわけだが、
別に思いを共有できないからといって、
それは仕方のないことなのだろうし、
戦争の悲惨さを自覚できないからといって、
それで戦争を望む成り行きにはならないだろうし、
戦争を賛美するような世の中の空気にもならないのではないか。
逆に実際に戦争状態の地域にいる人々は、
戦争の悲惨さを嫌という程思い知らされ、
戦争の継続を望んでいないにも関わらず、
それでも戦争を止められない状況にあるのかもしれず、
要するに個人の思いや願望では戦争を止めることはできず、
そこに独裁者や軍事政権があるにしても、
ミャンマーや北朝鮮の例を見ても、
それだけですぐに戦争になるわけではなく、
内戦状態のシリアやイラクやアフガンなどにしても、
そうなるきっかけがあったわけで、
それは戦争の悲惨さを訴えるような行為で、
どうこうなるようなものではないはずだが、
だからといってそのような行為が無駄であるわけではなく、
無駄か無駄でないかとは違う次元で、
戦争によって悲惨な思いをした人が、
そのあとの平和な時代まで生き残ったならば、
平和の尊さを実感して、
二度と戦争を起こしてはならないという思いになるのは当然だろうし、
そこで後世に悲惨な戦争体験を語り継ぐような
成り行きになっていくのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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