文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.15 「善意の連帯」

2015/12/16

たぶん語る必要や必然性があるとすれば、
それが自分に関わる事象であることが求められるのかもしれないが、
その全てが自分の問題となるとは限らず、
特にメディアからもたらされる情報を基にして何かを語る場合、
他人事のまま無責任に語ることができるだろうし、
それは何かを語るという行為自体に起因する特性かもしれず、
それが自分に関わるような問題であれば、
語る以前に行動していて、
解決を必要とする問題なら、
解決に向かって動いているだろうし、
それは語ることとは無関係な行為に及ぶ場合がほとんどなのかもしれず、
逆にそれについて語っている状況があるとすれば、
語る余裕があるから語っているわけで、
余裕がある時点で、
自身にとってはそれほど緊急かつ切実な問題ではないのではないか。
またそれが緊急かつ切実な問題であるとしても、
解決に向かって動かず、
それについて語っている場合があるとするなら、
語るしかないのかもしれず、
それについて語っている時点で解決が困難で、
場合によっては不可能に思われるから、
とりあえず解決に向かうのとは別に語っているのかもしれず、
それについて語ることと、
それを解決しようとすることとは別問題なのかもしれない。
例えばメディア上で語られているような国家や世界に関する問題も、
容易には解決が困難な問題ばかりだろうし、
現状では問題を解決できないから語られていて、
それについて語られている間は、
少なくとも問題が解決していないことを意味し、
延々と何十年も語られているような問題については、
もはや解決することが不可能な状況になっているのではないか。
そして解決できない問題とは、
忘れられることによってしか、
それがなくなることはないのかもしれず、
もしかしたらそれが忘れられ、
メディア上で論じられなくなった時点で、
問題が解決したことになるのかもしれず、
そういう意味で問題が解決することとは、
問題としてメディア上で論じられるような話題性がなくなるのと
同じことなのかもしれない。
そんなふうにしてメディアは
常に解決困難か不可能な問題を必要としているのであり、
そのような問題がメディア上で話題となり、
論じられることによって、
メディアがメディアとしての機能を果たすのであり、
そういう解決が難しい社会的な問題がなくなってしまえば、
メディアそのものが不要となってしまうのかもしれないが、
そのような問題とともにメディアが発展してきたのだとすれば、
問題とメディアは相互依存関係にあるのはもとより、
大衆市民社会が恒常的に多くの問題を抱えていることの反映が
メディアを存在させ、
それをメディアが次々と問題提起することによって、
そこに暮らす人々に問題意識を植え付けることで、
そしてそのような問題意識を共有することによって、
人々はメディアとともに
社会的な一体性を確保しているのかもしれないが、
その社会的な問題の共有というのが、
そこに暮らす人々とって本当に必要なことなのだろうか。

それは社会の構造や制度や仕組みと、
それを利用している人々との関わりから生じてくることなのだろうが、
問題について語るという問題提起から問題意識が生じ、
問題を解決させるために政治的な活動が必要とされるなら、
そのような活動による行政や立法や司法に対する働きかけが行われ、
その働きかけが実を結べば、
それらの機関によってなんらかの判断が下され、
そのような問題を改善するための方策が検討されて実行に移され、
それによって問題が解決するのかしないのか、
その時々の状況や問題の性質によっても結果は異なるだろうが、
普通は問題を提起する部分でメディアが関わってくるわけで、
またそれの解決過程や解決したか否かの結果を伝える役目も
果たしているのだろう。
そしてそういう建前論的なことだけなら、
メディアも無害であるように感じられるだろうが、
一方でメディア自体が問題の当事者である場合があり、
メディアの存在自体が社会問題となっているとしたら、
果たしてメディアは自身のあり方そのものを問題提起できるだろうか。
一般的にはメディアにも様々な種類があって、
それぞれに性質も特性も伝える内容も異なり、
運営している資本関係も別々になっていて、
異なるメディア同士が連携や競合や対立の関係にあれば、
メディアが他のメディアを批判することにもなるわけで、
互いに悪い点を批判しあうことで、
メディアの健全性が保たれることになるのかもしれず、
そういう方面での問題は、
そういう方向で解決に向けて努力が図られるのかもしれないが、
他にメディア自体が抱えている問題はないだろうか。
例えば政治的な権力を握る勢力と癒着して、
その政治勢力を利するような偏向報道を行うようになるというのは、
一般によく言われることではあるのだが、
それは他のメディアがそのような行為を批判することで、
メディア同士の相互批判の延長上で改善を図るしかないだろうが、
それとは別次元で、
メディアが促しているつもりの、
社会問題の共有という人々の善意による連帯というのが、
その善意によって人々をおかしな方向へと
導いているような気がしてならず、
例えば地球温暖化の関連では、
石炭を使うことが大気汚染と地球温暖化を招いていて、
世界的に石炭の消費を
抑制させようと呼びかけているメディアがあるわけで、
確かに石炭を利用した発電においてはそうかもしれないが、
一方で世界で最も広く使われている金属である鉄の精製には
石炭が欠かせないわけで、
製鉄企業が鉄を精製すると同時に
発電も行っている場合がほとんどかもしれず、
人類が金属である鉄を必要とする限り石炭も必要とされ、
鉄の精製過程で発電もしているのだから、
いくら石炭を大気汚染と地球温暖化を招く悪者に仕立て上げても、
鉄を必要とする限りは石炭は使われるのであって、
そういうところで
人々に善意の連帯を呼びかけているメディアの矛盾を感じざるをえない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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