文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.12 「相互補完」

2015/12/14

何かについて語る上で、
何かと何かを区別しなければならないのは、
人が物事を考える上で、
避けては通れないある種の決断を必要としているだろうか。
そこに差異を設けないと説明できず、
何かと何かを区別してその違いを説明することで、
思考している対象を理解しようとするわけだが、
そこで生じる何かと何かを区別するという決断は、
時として区別したどちらか一方に肩入れするような事態を招き、
一方を肯定してもう一方を否定し、
その肯定する対象に与するような立場をとらざるをえなくなった時、
そのような態度表明をすることが、
果たして良いのか悪いのかについての判断も迫られる。
例えば政府に迎合的なメディアと批判的なメディアを区別して、
どちらか一方を擁護してもう一方を批判する身振りは、
自身が何か特定の政治的な立場をとることにつながり、
特定の政治勢力の支持者だとみなされてしまうわけで、
そうみなされてしまうことが、
現状を語る上で偏った見方や考え方に基づいているようにも思われ、
その辺で現状認識に誤りがあるような疑念を抱かれるかもしれず、
別にそのような疑念を抱かれても構わないのなら、
それに越したことはないのだろうが、
そのような潔さが
一方で何らかの見落としにつながっているのかもしれず、
実際にそのような区別を前提として話を進める以前に、
人にそのような区別を決断させる何かが、
社会の中で働いていることは確かで、
たぶん人にそれを促す作用が、
人にその作用に沿った政治的な現状の理解を信じさせる一方で、
そのような政治的な主義主張の虚構性から
目を背けさせているのかもしれない。
それの何が虚構であるのかといえば、
政府のやっていることのことごとくが、
特定の政治的な主義主張に基づいて行われているわけではないし、
それを伝えるマスメディアにしても、
その全てにおいて迎合的に伝えているわけでも、
批判的に伝えているわけでもなく、
ある特定の政策に関して迎合的であったり、
あるいは批判的であったりするような立場が成り立つわけで、
もちろんその迎合性や批判性が売りのメディアでは、
迎合一辺倒であったり批判一辺倒であったりして、
そういうメディアに対しては、
そのような報道姿勢を快く思わない人々も大勢いて、
そこからそれらのメディアに敵対的であったり、
あるいはその反動として、
それとは逆の迎合的な報道姿勢のメディアを
支持する人たちも存在するわけで、
それはその手の偏向的なメディア報道に
人々が惑わされ翻弄されることで、
結果的にそれを真に受けて
踊らされる人々が少なからずいるということになり、
そのような現象から
特定の政治的な主義主張を想像することができるわけで、
その想像された主義主張を
支持したり批判したりする人々もいる現状があり、
何か特定の政治的な主義主張というものが最初からあるわけではなく、
メディアの報道とそれに反応する人々による相互作用の結果として、
なにやら一定の主義主張というのが形成されるのだろうが、
形成されるといっても人々がそれを意識するのであり、
客観的に一つの政治信条として固定されているわけではなく、
その中身は情勢の変化に伴って絶えず揺れ動いて変化し、
その時々の出来事や言説の流行よってもその隆盛が左右されるわけで、
そこから世の中の情勢に応じて中身がコロコロ変わってしまうのに、
あたかも確固たる主義主張として成り立っていないと、
擁護も批判も出来ない虚構性が生じてくるのではないか。

実際に既成事実として、
そのような主義主張があることを前提として、
それを擁護したり批判したりする行為が
まかり通っている現状があるわけで、
その時点でその主義主張とそれに対する擁護や批判は、
それを擁護したり批判したりする限りにおいて、
その存在を保障されるような虚構性をまとっていて、
そのような擁護や批判などの行為が成り立つ範囲内で、
それらに関わっているつもりの人々の意識の中で機能していて、
それが虚構であるという自覚があるかないかに関わらず、
そんな主義主張が成り立っていることを受け入れる限りにおいて、
それを受け入れた人々に対して、
そこから生じている主義主張と
それに対する擁護や批判は影響を及ぼしていて、
それを受け入れた人々は、
それが虚構であるという自覚があってもなくても、
結果として主義主張が成り立っている虚構の世界の中で
振る舞うことになるわけで、
中身が状況に応じてコロコロ変わる主義主張を擁護したり批判したり、
場合によってはそこで、
賛成や反対の立場に分かれて議論を戦わせたりして、
そこで繰り広げられる闘争やらせめぎ合いの担い手となるわけだが、
それが実際に政府などの政策に対する
反対運動や擁護活動などと同期してくると、
虚構のイデオロギーと実際にやっていることの間に、
食い違いや歪みが生じてくるようにも感じられ、
時として虚構が虚構でしかないことが
明らかとなる場合があるのかもしれず、
そこで人々は虚構のイデオロギーを守るために、
その論理的な破綻を隠すために、
あれこれ策を弄したり、
屁理屈をこねることにわけで、
敵対しているつもりの勢力との対立を煽ることで、
そちらへ目を向けさせたり、
大げさな会議を開いて全世界に危機を訴えかけたり、
そのような方面でも
メディアを通じての啓蒙活動が欠かせないのかもしれないが、
別にそこで論理的な破綻があらわになっても、
それを補完する新たな理屈をもってくればいいわけで、
そこに対立する主義主張がある限り、
対立している陣営を批判し攻撃することで、
対立している現実を世の中に示せるのであり、
その対立しているという事実が
現にそれがあることを人々に信じさせ、
中身が論理的に破綻していたり、
状況に応じて都合のいいように中身が変化するとしても、
それでも確固たる主義主張が存在している
という虚構性を覆い隠せるのかもしれず、
そうなるもはや対立していることが、
対立し続けることによってしか、
それらの主義主張を成り立たせることができなくなっているわけで、
逆に言えば、
対立を解消してしまえば、
虚構の主義主張など信じられなくなって、
その存在は雲散霧消してしまうわけで、
もしかしたらそんなことは
誰もが分かっていることかもしれないのだが、
実際にそうなってもらっては困るから、
それらの主義主張を信じている振りを装いながら、
偽りの対立を煽り、
そうすることでそこに差異を見出し、
その差異を利用して
自分たちの存在意義を確保している現状があるのかもしれない。
そしてそのような手法によって生じているのが、
政治的な右翼と左翼や与党と野党や二大政党制の幻想なのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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