文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.11 「インフレーション」

2015/12/12

たぶん理解の域を超えたことは説明できない。
何が理解できないのかといえば、
それはその時々で変わってきて、
それを理解できないままにしておくと、
様々な水準や次元で理解できないことが積み重なってくるだろうか。
実際には理解できないことはすぐに忘れてしまうから、
実感としてはそれほど積み重なっているようには思えず、
今もそれを忘れているのかもしれず、
さっきまで何が理解できなかったのか忘れているのではないか。
一般論としては神秘的な体験は理解できないが、
説明のつかない現象を体験すると、
何かそれがこの世界の神秘に触れたような、
本質的な体験であるかに感じられるだろうか。
だがそれを後から考えてみれば
大したことではないようにも思えるのであり、
実際に知覚できたのは
ほんの些細な理屈に過ぎなかったりするわけだ。
個人の力でどうにかできるのは、
客観的には身の回りの些細な現実でしかないが、
それがメディア的な現象となると、
何か世界を相手に
個人が何かやっているような気になれるのかもしれないが、
そんな錯覚を生じさせてしまうのが想像力で、
現実の世界でもフィクションの中でも、
何か特定の個人が
世界全体を揺り動かしたように思われてしまう事態が生じて、
それが意識と現実とのギャップを産んで、
勘違いや妄想を生む原因となっているのかもしれない。
それはとりわけ虚構の物語の中で顕著な傾向を見せるのだろうが、
現実の世界でも歴史上の著名な人物が、
世界に多大な影響を及ぼしたように語られてしまう場合が多く、
歴史について語るとなると
そう語らざるをえないのが慣習となっているわけで、
その人物の業績が過大に評価されてしまう場合がしばしばあり、
過大に評価しないと
偉人を主人公とした歴史的な物語とはならないのだから、
そうなるのは致し方のないことかもしれないが、
その人物が現実の世界で行ったことが
事実であるのは確かなのだろうが、
それがメディアを通して語られると、
虚構の物語と同じような効果を発揮して、
なまじ行ったことが事実であるだけに、
多くの人々が物語的な効果の部分を信用してしまう。
その物語的な部分とはその人物が何かを行ったことにより、
世界が大きく変わったという部分であり、
それが単純化されると、
その人物の行為というより、
その人物の存在が世界に多大な影響を与えたとなるわけで、
かくして歴史上の偉人と呼ばれる存在が物語上に誕生して、
そのような偉人たちの列伝がメディア的な興味の対象となり、
それがしばしば人類の歴史と混同される場合があるわけだが、
実際にはある何らかの人為的な現象によって、
世界情勢が変化した時期について語られるとき、
その現象に関わった人たちの中から、
代表的な人物がスポットライトを浴びるのであって、
それが物語の物語たる所以で、
それが個人の名を冠した発明や発見であったりすると、
特にそれが顕著になる傾向があり、
その個人の業績として語られるわけで、
物語にはその人物の存在が欠かせなくなり、
そこから伝説としてのその人物の人となりや、
その発見や発明に至る努力の経緯が語られ、
結果的にその人物がいたからこそ世界が変わったとなるわけだ。

そしてそのような人物の物語的な伝説から幻想が生まれ、
幻想を抱いた人たちによる原因と結果のすり替えが起こり、
歴史に名を残す偉人を生み出すには
どうしたらいいかという話になるわけで、
そのバリエーションとして
ノーベル賞受賞者やオリンピックの金メダリストや東大合格者などを
生み出す試みにも行き着くのかもしれず、
そのような原因と結果の短絡と不可逆性への挑戦は、
人々を捉えてやまない夢を形成しているわけだが、
フィクションの中でそればかりが強調されると、
かえって話がわざとらしくつまらなくなってしまうのかもしれない。
例えばスターウォーズで言えばそれはジェダイの騎士やシスであり、
ガンダムで言えばニュータイプの存在であるわけだが、
彼らが何か特別な力を持っていることが観客の幻想を煽り、
客寄せとしての効果はあるわけだが、
話の中でフォースの力やニュータイプの力が強くなりすぎると、
何かそれが万能性を発揮してしまって、
力のインフレーション効果が生じて、
それによって全世界を変えるような話の展開となってしまうと、
人々が現実に体験している世界とのギャップが生じて、
話にリアリティを感じられなくなってしまうのかもしれず、
ジェダイの騎士やシスやニュータイプが話の中で活躍するのは、
それが話のメインなのだから当然であり、
その活躍を描く話なのだろうし、
ファンもそれが目当てで観にくるわけだが、
それが世界全体と拮抗するような力となってしまうと、
つまらなくなってしまうのかもしれず、
その力の所有者がピンチになった時に、
その力によってかろうじて危機を脱する程度に止まっているなら、
観ている人たちの興味も持続するのかもしれない。
そういう意味でスターウォーズのエピソード1〜3は、
力のバランスがおかしかったのかもしれず、
フォースの力の設定とシスが銀河全体を支配する過程が
安易すぎたのかもしれない。
話がでかくなりすぎたというか、
そういう話なのだから矛盾してしまうのだろうが、
その辺でごまかしが利かないというか、
銀河帝国とか銀河皇帝とか荒唐無稽すぎて、
そこに話の焦点を当ててしまうとリアリティを失い、
そういう話の設定にしてそれを話のメインに据えてしまうと、
破綻しているように感じられ、
そこにジェダイの騎士のライトセーバーを使った、
個人的なチャンバラ劇が加わるわけだから、
ジェダイの騎士とシスのチャンバラ対決と
スターウォーズと呼ばれる全銀河を巻き込んだ戦争との規模が、
余りにも不釣り合いで、
観客が観ていてそれに気づいてしまうのだから、
やはり失敗だったのではないか。
それなら最初のガンダムでのモビルスーツ同士の対決が、
あくまでも戦争全体の中の
ほんの一部分を占める戦闘でしかないという位置付けは、
正解だったように思われる。
ガンダムもその後力のインフレーション効果で、
ニュータイプがわけのわからない強大な力を持ってしまって、
荒唐無稽さを増してしまうわけだが、
結局それは現代人の自意識過剰から生じる、
人間という存在に対する過大な思い入れが、
そんな話を可能にしていて、
それが多くの人々を魅了している現状があるのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
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