文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.12.5 「構造的な理解」

2015/12/06

人はまだ知りえない謎を解き明かしてみたい。
それが誰にも当てはまることだとは限らないだろうが、
それを知りえたつもりになれば、
少しは不安が解消するだろうか。
人がやっていることについて、
やっていることの意図や思惑が見えてこない時、
人は不安にとらわれるだろうか。
何に対してそう思っているわけでもなく、
ただの気まぐれから何かをやり始めた時、
それが思いがけず長続きしてしまった場合、
果たしてこのまま続けていっていいのか悪いのか、
その判断がつかない時、
人はただ成り行きにまかせて、
それを続けようとしてしまうだろうか。
もちろん人によりけりだろうが、
実際にやっているのがそんなことでしかない場合、
そこに必然性があるとは思えないし、
そのやっていることを肯定する気も正当化する気も起こらず、
それでも何となくやり続けている状況がありそうで、
その程度で済んでしまうなら、
それを改めてどう捉えようとしても、
それ以上のどんな認識にも至らずに、
そのままとなるしかないのかもしれず、
そんな肯定も否定もできないような心境になれば、
やはりそれはそういうことでしかないのかもしれない。
それ以上はわからないなら、
その程度の水準を超えることはなく、
たぶんそれは謎ではなく、
すでにわかっていることであり、
それ以上はわかりようがなく、
その時点で解き明かすべき要素がないことになるだろうか。
そしてそれについて知りえたことの範囲内で、
それに対する理解をとどめておけば、
それはそれとしてわかっていることになりそうだが、
それでは飽き足らないとしても、
それ以上を求めて、
今度はそれについての空想や想像から、
それについての理解と似ているようで全く異なる
恣意的な幻想を得るに至ると、
そこから先は後戻りのできない
宗教的な領域へと踏み込んでしまうだろうか。
常人には見えないものが見えてしまう人などは、
自覚のない無意識の空想や想像が、
そこに事物の幻影をもたらしてしまい、
例えばそれは壁の汚れが血痕に見えてしまったり、
写真の背景に映り込んだ陰影が
人の顔に見えたりするのと似ているのかもしれず、
感情的な思い込みが、
その思い込みにとって都合の良い構造を見出して、
それで謎が解けたと勘違いしてしまうのだろうか。
ではその構造とは何だろう。
それは警察機構や警備会社が監視カメラや盗聴機器を用いて
社会を監視するシステムから想像されたり、
クレジットカードやポイントカードの利用状況や、
あるいは行政による個人番号カードから、
住民のプライバシーを監視される不安が、
そのような構造を想像させるのかもしれず、
一般の人々にはうかがい知ることができないところから、
支配者が監視しているという構造であり、
監視され秘密や弱みを握られて、
支配者に逆らうことができなってしまう恐怖というのが、
なにやら空想や想像の領域で膨らんでくると、
まともな判断能力が失われて、
すぐにでも個人の自由を制限する全体主義社会が
到来するかのように思われて、
危機感を煽りたくなってくるのかもしれないが、
そもそも現代において支配者の位置に収まるべき存在とは、
具体的に何を指すのだろうか。

もしかしたらそれを特定できないのが、
現代社会の特徴かもしれず、
誰が何が人々を支配しているわけでもないのに、
そこに支配者を想定しておかないと、
恣意的に思い描いている構造が成り立たなくなってしまう。
そういう意味で人が思い描く構造を社会そのものが超えていて、
そうかと言って、
人は社会の構造をツリー状にしか認識できないが、
実際にはツリーではなく、
セミ・ラティスとかリゾームであるとか言ってみたところで、
そこに特定の構造を当てはめてしまうと、
どうもそうではないような事例が出てきてしまうのかもしれず、
そういう意味で人が寄り集まって構成しているはずの社会は、
人の認識を超えていて、
人が導き出す構造は、
部分的には当てはまるのだろうが、
社会全体には当てはまらず、
そこに構造を当てはめると、
構造の範囲内では社会の傾向を説明することができ、
それ相応の理解も得られるのかもしれないが、
たぶんそれが全てではなく、
その構造を超える部分については説明できず、
理解不能な部分もあるのかもしれない。
しかしそれでも人は、
自分が導き出した構造を社会に当てはめて、
それによって社会を説明し理解しようとするのかもしれず、
その辺で人の思考の限界が露呈すると同時に、
その構造から導き出された法則や知識が、
社会に暮らす人々にとっては受け入れやすく、
それを導き出した当人としては、
まだまだ社会を完全に理解したつもりはなく、
これからさらに探求や研究を続けることによって、
より深く詳細な理解に至りたいのかもしれないが、
それを受け入れた社会の多数派にとっては、
それで何か画期的な理解を得られたつもりになって、
得られた法則や知識を使って、
何かわかったようなことを言いたがるのであり、
そんなふうにして社会についての不完全な理解が、
社会全体に蔓延することとなってしまうのかもしれず、
それを助長するのが、
新たな知識をもたらした人を、
何かの教祖様のように祭り上げるマスメディアなのだろうが、
そのマスメディアによる祭り上げそのものが、
ある意味で社会が特定の言説によって支配される現象をもたらし、
その言説を信じる人が多ければ多いほど、
その言説が多くの人々の意識に影響を与えることになるわけで、
結局支配とは
信じるか信じないかの宗教的な作用によるところが大きく、
支配する側の権力よりも、
支配される側の支配者への信仰や崇拝が物を言うわけで、
その信仰や崇拝を仲介するのがマスメディアだとしても、
最終的には人々の側に責任があり、
物事の単純化から生じる安易な理解が、
特定の何かへの信仰や崇拝をもたらし、
お粗末で穴だらけの理論や論理の虜となって、
滑稽な行動や言動に及んで、
そこで目を覚まさない限りは、
自滅への道を歩んでしまうのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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