文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.11.24 「自意識」

2015/11/25

人が立ち向かうのはいつも自らを苦しめている境遇だろうか。
だがそれは苦しめられているとともに、
そのような境遇の中で自らが生かされている、
と前向きに考えた方が気休めにはなるかもしれず、
苦しみながらも絶えず自意識や身の回りの環境の改善に努めていれば、
それで立ち向かっていることになるだろうか。
その自覚がなくてもそうしている人が大半だろうし、
それが現状で生きていることの証しかもしれないが、
そういう次元で何をどう考えてみても、
それで構わないような当たり前の見解しか導き出せないだろう。
当たり前でない認識を導き出すのは至難の技かもしれず、
その常人では思いつかないようなことを思いつくのは、
それ相応の何かが必要なのだろうか。
何かとはなんなのか。
それがわかれば苦労はしないだろうが、
別にそんな認識を導き出そうとして出せるとは思えず、
それは無理に目指さなくてもいいことで、
普通は自分が思いつく範囲内での、
当たり前の見解や認識で満足すべきかもしれない。
奇をてらって難しそうな言葉をこねくり回してみても、
それを自在に使いこなせるほどの力量はないだろうし、
そう感じられる書物などを読んでもちんぷんかんぷんかもしれず、
そもそも語ることや記述を何かに役立てようにも、
間違ってもそんなことは
させてもらえないような世の中なのではないか。
それでも自意識はそんな世の中を理解したいだろうし、
この世界の構造がどうなっているのかを知りたくて、
それに関係していると思われる書物など読んで、
その内容を把握して理解しようと努めるわけだが、
納得するような理解からは程遠く、
要するにわかりきっていることだけでは満足できなくて、
つい他に何かこの世界に重大な影響を及ぼしているような、
隠された何かがあると思ってしまうわけで、
それを自力で探り当てようとしてしまうのかもしれないが、
改めて考えてみるまでもなく、
単なる無名の一般人の分際で、
そんなことを知ろうとするのは無謀なことで、
高名な思想家や哲学者でさえわからなかったことが、
わかるなんてありえないだろうが、
それでも現状でわかる範囲内では、
この世界の構造を把握したような気になっているのではないか。
たとえそれが勘違いであろうとなかろうと、
それなりに理解しているつもりでいるわけで、
そのような理解の範囲内では、
隠された何かではなく、
全ては人が理解し把握している程度の物事によって
この世界は構成され、
そうなって当然の成り行きに従って状況が推移していて、
そこで何が起ころうと、
人がどんな事件や現象に巻き込まれていようと、
たぶんそこで現前している以上でも以下でもないだろうし、
それが起こった時点では気づかない何かがあろうとなかろうと、
後からそれに気づいて驚いたり感動したりしても、
それはそういうことでしかなく、
その当たり前のことに納得できなくて、
本当はそうではないのではないかと疑念を抱くことが、
何やら自身の願望や期待にそそのかされて、
都合よく想像してしまうことにつながり、
結局そのような願望や期待は、
ありのままの現実に裏切られるしかないのだろうが、
やはり人はそのありのままの現実を認めたくないのかもしれず、
そこに絶えず自分の思いが反映して欲しいと思うのではないか。

そしてついにはこの世界に自分の思いを反映させるべく、
自分の力で何かをもたらしたくなってくるのかもしれず、
それが自らの作品であればわかりやすいのだろうが、
たいていの場合はそこにはすでに他人の作品があり、
その作者が作品を他の人たちに認めてもらいたくて、
あれこれ策を巡らせながら認めるように仕向けてきている。
そのような状況に直面すると、
そこに自分の作品を置く余地さえないことに気づき、
それでも作品の提示をあきらめきれなければ、
他の作品を押しのけて、
まずはそこに自分の作品を置く場所を作らなければならず、
そのための抗争が社会のあちらこちらで起きているのだろうか。
そう考えれば人と人との争いは避けがたいと理解できるかもしれない。
だがそれが本当に自分の作品なのかどうか、
そこに疑念を抱くと、
何かこれまでとは違った認識に至れるだろうか。
この世界の謎を解き明かすことや、
この世界に自分の思いを反映させることとは別に、
大前提と見逃してはならないのは、
この世界の一部として自身が存在しているという事実であって、
自分が世界の一部にすぎず、
世界と自分とはつながっているどころか、
一体化しているわけで、
対等の関係でさえなく、
圧倒的に世界の方が巨大で、
自分を含むすべてを構成しているということだ。
そしてそれこそが唯一最大の謎であって、
自分を含んでいるこの世界があることが謎の全てなのだろう。
しかもその世界の一部である自分は、
世界と自分とを分割して、
この世界を思考の対象としていて、
なにやら世界についてそれなりに知識を持っていると思い込んでいる。
そんな自分がこの世界に何かをもたらしたつもりになっても、
自分自身がこの世界の一部なのだから、
結局それは世界からもたらされたものでしかないのではないか。
それこそがありのままの現実であり、
そのような現実に納得すべきなのだろうが、
意識としては世界から分離して自分の存在を認識しているわけだから、
納得しようがなく、
納得しない代わりに、
自分の都合のいいように世界を理解しようとするわけで、
それを試みては世界のありのままの現実に跳ね返されて、
跳ね返されればされたで、
まだ何かこの世界には自分が知らない秘密が隠されていて、
その隠された秘密を発見したり解き明かしたりすれば、
その時こそ自分の都合のいいように世界を理解することができ、
自分の都合のいいような作品を、
この世界にもたらすことができると思うのかもしれず、
そこに自分の都合と世界の都合を一致させる困難があり、
その困難が解消される見通しがなかなか立たずに、
多くの人が困難に直面していて、
それを困難と思えば、
その困難に苦しめられていると思われ、
その困難に立ち向かっていると思えば、
立ち向かっている間は、
そこから自己満足や気休めを得られるのかもしれないが、
それは自らの存在を世界から分離して意識することから生じていて、
それが自意識と呼ばれる意識そのものなのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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