文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.11.23 「感覚」

2015/11/24

人はそこに留まりえないが、
留まろうとして悪あがきを繰り返すのかもしれず、
その悪あがきの繰り返しが老いそのもので、
以前はできたことができなくなってから、
それに気づいてうろたえるのだろうか。
うろたえる人もいるかもしれないが、
中には気にしない人もいるのではないか。
そして死ぬまで悪あがきを繰り返している人もいるだろうか。
今がその悪あがきの最中だとは思いたくないだろうし、
まだ成し遂げなければならないことがあると思い、
それを成し遂げようと努力することが、
無駄な悪あがきだとは思いたくないのかもしれない。
でも努力していると思うことが、
そもそもの勘違いなのかもしれず、
その実態はしなくてもいいことを無理にやろうとして、
それをやることへのこだわりが、
やっていることが自分の力量を超えていることに気づかず、
成し遂げられないことを
延々と繰り返す成り行きをもたらしているのだろうか。
たとえそうだとしても、
そのような成り行きの中で生きているのだろうから、
そうすることに生きがいを感じているとすれば、
勘違いかもしれないと不安を抱きながらも、
やり続けられている限りはやめようとはしないだろうし、
断念しなければならない時が来るまではやろうするだろうし、
実際にそれをやり続けているわけだ。
たぶん実感としては留まろうとしているのではなく、
絶えず前進し続けていると思っているのではないか。
未来へと歩んでいるつもりでいて、
その先に何か願いが叶うような瞬間が訪れることを
期待しているわけだ。
結果から振り返ればたわいないことにすぎないかもしれないが、
まだ過去を振り返る気が起こらず、
振り返るのが怖いのかもしれず、
ともかく前を向いているうちは、
諦めずに努力しているつもりでいられるわけか。
それが勘違いの全てだろうか。
他にどんな勘違いがあるだろうか。
あるいは勘違いではなく、
やがて真実を知る機会が訪れるだろうか。
別に自らがやっていることが勘違いであることを
自覚する必要はないだろうし、
それを信じてやり続けることが肝心で、
現状では何の結果ももたらされなくても、
自信を持ってやり続ければ、
いつかは報われる機会が必ず訪れるはずだと思っていればいいわけか。
もしかしたらそれも勘違いの類いかもしれず、
そのような根拠のない自信とこだわりが、
無駄で無意味な努力の日々をもたらし、
執拗に悪あがきを長引かせているのだろうか。
それとも肯定的であれ否定的であれ、
まだやっていることを評価する段階に達していないのであり、
現実に何をやっているとも言えないレベルなのに、
それでも様々な苦難を乗り越えてここまで来たのであって、
その過程で様々なことを犠牲にしながら
やっているような気でいるのだろうか。
そしてそれも勘違いの一部であり、
実態はそんな思いからはかけ離れていて、
それと気づかずに要所要所で上手く立ち回っていて、
大した苦労もなく継続しているのであって、
しかも戯れの範囲内でやっていることで、
どう見ても本気であるはずがなく、
自分が何を見ているのかもわからず、
何に関して何をやっているわけでもない感覚にとらわれていて、
もしかしたらそれは嘘かもしれない。

何をやるにしても結果を得なければ自信にはならず、
結果が思わしくなければ不安を覚えるのだろうし、
そこから気の迷いが生じてくるのかもしれないが、
それとは別にそこに至る成り行きというのがあるらしく、
やっていることに対するこだわりの感情や、
その感情から生じる努力への思いとは関係なく、
なぜかそうなってしまう成り行きというのがあり、
人は絶えずそんな成り行きの中で生きていて、
それを肯定して成り行きまかせに生きるしろ、
そんな運命に逆らってもがいているつもりになるにしろ、
そんな思いやこだわりとは違う感覚というのがあるのかもしれず、
何を諦め断念しているのではないにしても、
自然と導かれるままにそんな境遇となり、
それを肯定も否定もできないまま、
そんな境遇の中でやっていることがあって、
それをやり続けることが良くも悪くもないように思われるのは、
例えばそれが使命だと自らに言い聞かせるような
強迫観念とは無縁だからかもしれず、
それをやることにこだわっているとも、
それをやらなければならないとも思わず、
それをやるのがごく当たり前に感じられるようになれば、
それで構わないのだろうし、
余計なことなど考えずに
ただそれをやり続けていればいいのだろうか。
それを誰に問うでもなく問うのは、
まだ疑念を拭い去れない証しかもしれないが、
たぶんその問いに答えなどないことも、
うすうす感じているのだろうし、
一応は問いの形を取るが、
そもそも問いにさえならないことかもしれず、
ただそれを不可思議に思われるほどの感覚で、
そのような成り行きの中に自意識があるように感じられる。
やっていることを肯定も否定もできなければ、
わずかにそう思われるしかないようで、
そこに残っているのは不可思議な感覚だけなのかもしれない。
それはやるべきことなのでもやらなければならないことなのでもなく、
実際にやっていることだ。
そしてそこからそのやっていることに応じて、
そんな認識がもたらされ、
それが何でもないことのようにも思われ、
別に悪あがきでも勘違いでもないことを知るのだろうか。
そしてそんな感覚の中に意識が留まろうとしているのでも、
それを発展させながら前進しようとしているのでもなく、
ただそんな認識を抱いているわけか。
抱いている以前には、
そのような認識へと至ったと考えれば、
どこかへと到達して、
それが良くも悪くも前進であるように思われたのかもしれないが、
どうもそれは前進でも後退でも上昇でも下降でもなく、
ただそのような成り行きの中にいる感覚で、
それ以上でも以下でもないのだろう。
どこからやってきたともどこへ向かうとも思えず、
そこに存在していると思えるだけで、
存在していること自体にどんな意味も価値もないのだろうが、
そのような成り行きの中で何かをやっていることは確からしく、
それがやれる範囲内でやっていることなのか、
あるいは己の力量を超えてやろうとしているのか、
そんなこととも無関係にやっているのかもしれない。
たぶんそれは自己肯定とか自己正当化とも違う感覚なのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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