文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.11.17 「関係性」

2015/11/18

なかなか世の中の成り行きは因果応報とはならず、
ひどい目に会う人たちは一方的にひどい目に遭い続け、
贅沢な暮らしを謳歌する人たちはいつまでも贅沢三昧に明け暮れ、
それが当然であるかのように思い込んでしまうかもしれず、
何が良いこととも悪いこととも判断しがたい面もあるかもしれないが、
社会的な立場や境遇によってそれなりに価値観が異なるのだろうし、
やりたいことや実際にやっていることも千差万別なのだろう。
そのやりたいことややっていることを
同じにすることなどできないわけで、
同じにする必要もなく、
それを同一の価値観で判断する必要もなく、
そこで何をやろうとしようと、
実際に何をやっていようと、
やれている現実がそれが可能であることを示しているに過ぎず、
それ以上の根拠や必然性を考えても、
考えようによってあるいは語りようによっては、
何らかの説得力を伴うかもしれないが、
そうだとしてもそれはそれに関する説明の上で、
そうだと言えるだけで、
それ以上の真実味を期待するのはおかしいだろうし、
実際に何かをやっている現実以上の何かを求めるのは、
自身にとって都合のいい幻想を伴い、
それでも構わないのだろうし、
何かしら幻想や願望を抱いていないと、
やっていることが長続きしないのかもしれない。
それが人間の弱さであり、
弱いからこそ幻想や願望を抱くのだろうが、
そのような幻想や願望を抱くことを、
取り立てて肯定したり正当化したりする必要もないのではないか。
弱いなら弱いままで構わず、
何も無理に強がる必要もないわけで、
肯定したり正当化したりできない面を残しておく方が、
思考にも行動にも柔軟性を持たせることが可能だろうし、
一つの価値観に凝り固まって硬直化すれば、
何やらそれなりに正義漢を気取ることはできそうだが、
正義だけではやっていけない面も色々ありそうで、
例えば価値観の異なる人たちとはひたすら対立するしかなく、
やるかやられるかの関係となれば、
当然暴力の応酬に発展する可能性も出てくる。
だからと言って信念を曲げてまで他人に媚びへつらう必要もなく、
その場の状況に応じて、
あるいはその場の気まぐれで、
さらに無意識に反応して、
実際に行動してみなければ、
どう行動するかわからない場合もあるだろうし、
その辺はそうなってみないとわからない面もあり、
実際にそうなったとしても、
なぜそんな行動に出たのかよくわらないこともあり、
そうなった原因を突き詰めて考えたり、
結局どうでもよくなって、
そんなことは忘れてしまったりするわけで、
語る上ではどうにでも語れるかもしれないが、
実際の行動は一つであり、
そのように行動した結果だけがあるわけで、
その結果を後からあれこれ評価してみたりするわけだが、
失敗を悔やんでみても後の祭りで、
取り返しのつかないことをやってしまったら、
それはそれで諦めるしかない場合もありそうだ。
気に入らないことがあると、
どうしても否定的な感情に凝り固まって、
最初から決めてかかってくるのはよくあることかもしれないが、
それも人間の弱さなのかもしれず、
他人が自分とは異なる価値観であるように見えたり、
実際に受け入れがたいことをやっていたりすると、
そういうことをやっている他人もその行為も思考も、
全てが否定の対象となるしかないのだろう。

もちろんそこに利害関係が生じていたら、
そうせざるをえないだろうし、
他人のやっていることや考えの全てを肯定し受け入れていては、
自分であることができなくなってしまうわけで、
人によって好き嫌いがあるように、
どうしても否定すべき対象と肯定すべき対象ができてしまうのは、
仕方のないことかもしれない。
そしてその仕方のなさが人と人との対立につながるとしても、
そういうものだと捉えるしかなく、
それ以上の理由を探さなくても構わないのだろうし、
そういうものだと割り切る以外には、
やりようがない場合もありそうだ。
それで良いか悪いかではなく、
そうなってしまったものを
修復しようとしなくても済んでしまうなら、
そのままとなるしかないだろうし、
実際にそれを放置しておいても構わない場合もありそうで、
ネット上の人間関係などそういうことの方が多いのかもしれず、
そういうことにこだわっていても、
何も得るものがないのなら、
そのままにしておくしかないのかもしれない。
何を得ようとしているわけでもなく、
そこに目的も目標もなければ、
そうなるだけなのかもしれないが、
無理に目的や目標などを決められない現状があるわけで、
そこに社会的な慣習や秩序などを見出そうとしなければ、
世の中はただ漠然としてとりとめのない世界であり、
そこに何もしない自由や何も考えない自由も想定できるわけだが、
そこに何らかの価値観や社会常識を当てはめようとすれば、
何もかもが自由であることは受け入れ難く、
絶えず人を何らかの価値観に基づいて束縛しようとするわけで、
それが当然だと思えば、
その人は立派な社会人として、
他の多くの人たちから信用を得られるのかもしれず、
そういう面では他人と同じことをして、
同じ思考でいるように装うことが、
その人が社会から利益を引き出す上で必要なことで、
社会人とは本来そうあるべきなのかもしれない。
もちろん常にそういう姿勢でいるように心がけていても、
思わぬきっかけから転落の人生となってしまうことも
十分あり得るわけで、
こう振舞っていれば絶対大丈夫ということなどありえないわけで、
その辺はその場の成り行きと偶然の巡り合わせに左右され、
運が悪ければどんなに常識人のふりをしていようと
うまくいかないだろうし、
またなぜか非常識な立ち振る舞いが許されてしまう境遇の人も
中にはいるだろうし、
結果から見れば、
その人の持って生まれた素養や気質が
ものを言っているようにも見えてくるわけで、
やはりそれも説明の範囲内では
なんとでも言えることかもしれないが、
自分には大した才能がないと思えば、
自然と謙虚に振る舞うようになるだろうし、
逆に才能があると勘違いして、
傲岸に振舞って墓穴を掘る人もいるだろうが、
それも程度の差でしかないだろうし、
なんにしても結果がものを言うわけで、
なんらの競争に勝ち抜いてその分野で成功すれば、
それが才能のある証しとなるだろうし、
そうでなければ才能があろうとなかろうと、
その他大勢の中の一人でしかなく、
いくら勘違いしてもホラを吹いても、
そのような価値基準からすれば、
全ては結果でしかないのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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