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彼の声

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彼の声 2015.11.16 「歴史の正しさ」

2015/11/17

歴史を自分の主義主張の都合に合わせて解釈するのは、
誰もがやっていることかもしれないが、
そうした歴史が何を物語るのかといえば、
自分の主義主張の正当化とともに、
自説にとって都合の悪い歴史的な史実の忘却だろうか。
それは多くの人が指摘していることで、
それらの批判はいつも決まって
不都合な史実を示すことに尽きるわけだが、
今度はそれに対する反論が出てくるわけで、
そこから互いに自説を主張し合うだけの、
不毛な歴史論争でも始まれば、
どちらが正しい歴史観を持っているかなんてどうでもよくなり、
自説にとって都合の悪い史実は捏造されたものだと主張するのが、
お決まりのパターンとなり、
あとはそんな主義主張に群がる人たちが、
自分たちが支持する歴史観を宣伝しまくって、
都合の悪い批判や反論を抑え込もうとするわけで、
それがそれらの人たちの政治家活動でもあるわけだから、
その歴史観が正しいか間違っているかではなくて、
正しいのが当然であるとともに、
その正しい歴史観を広めて、
間違った歴史観を葬り去るために活動しているわけだから、
反論や批判する人たちを攻撃して、
彼らこそが間違っていると主張しながら、
それを他の人たちに信じ込ませなければならず、
そのための宣伝活動を様々なメディアを通じて行っているわけだ。
そしてそのような行為が社会の中で優勢となれば、
それらの人たちにとって都合のいい歴史観が、
そこに暮らす多くの人々の間で信じられることになるわけだが、
そうした宣伝活動は一過性の流行り廃りを伴うので、
世の中の政治情勢の変化とともに、
都合のいい歴史観も変化するわけで、
いつも政治的に実権を握った勢力によって、
歴史が都合のいいように塗り替えられ、
時の政権にとって都合のいい歴史を信じ込まされる人も、
大勢出てくるのだろうが、
それがどうしたわけでもなく、
歴史とは結局その程度のことで、
過去の史実の何が正しいか間違っているかではなく、
政治的な宣伝行為によって都合のいい史実が取捨選択されるだけで、
いつの時代でも都合の悪い歴史は忘れ去られようとしているわけで、
実際に忘れてほしいわけだから、
忘れさせるように権力関係の圧力がかけられているのが歴史であり、
そのような方向でバイアスがかけられているのが、
政治宣伝に使われる歴史観となるだろうし、
そうやって政治宣伝に使われるような歴史は胡散臭いのが当然で、
政治宣伝をしている人たちが主張するような内容なら、
まず自分たちの立場を否定するようなことは語らないだろうし、
自分たちを肯定し正当化するようなことしか述べられず、
そうでないものは自虐史観として否定するしかないわけだが、
普通に考えれば過去に間違った行為がないなんてありえないわけで、
権力を握った側による圧政や住民の大量虐殺などは、
世界史的に見てあるのが当然だろうし、
そうでなくても失政など数知れずだから、
様々なひどい出来事が史実として歴史に刻まれているわけで、
それらをすべて肯定的に捉えることなど不可能だろうが、
物は言いようで、
そういう否定的な部分は語らずに、
ひたすら自分たちが正当化したい国の歴史を自画自賛すれば、
なにやら正しい歴史認識となるのかもしれず、
そういうのが流行っているのなら、
そういうことだと受け止める以外にはないのだろう。

そういった行為を肯定するなら、
やはり歴史とはその程度のものだ
と認識しておいた方がいいのかもしれないが、
そのような権力を握った側の都合だけが反映したような歴史を、
果たして学ぶ価値があるだろうかと問うならば、
それが学問だと見なすならば、
学問とはその程度のものでしかないと
認識しておいた方がいいのかもしれない。
そうやって否定的な見解を述べていると、
では何をどうすればいいのかという話になってしまいそうだが、
それで済ましてしまっても一向に構わず、
真の学問とか真の歴史など、
あるとしてもその程度だと思えばそうなるだろうし、
そうではないと主張したければ、
またその主張に応じた歴史や、
それを学ぶための学問もあることになり、
その程度が気に入らなければそういったものを選べばいいわけだ。
何が正しく何が間違っているかとは別の次元で、
様々な歴史が語られ、
それに基づく史観も多種多様にあり、
世の中にはそういうものがあると受け止めておけば、
それでいいわけで、
興味がなければそれ以上に考えることもなく、
別に真の歴史を無理に求める必要もないわけだ。
そしてそのような歴史を
自分の主義主張に合わせて合理化する必要がなければ、
自虐史観と思われるような歴史を信じていても構わず、
国家の責任で行われた過去の出来事が、
現代の政府にとって不利になると思われても、
それはそれでそういうことだと受け止めておけば、
それで構わないのではないか。
それが気に入らなければ不満を表明すればよく、
政府を陥れるための捏造だと思うなら非難すればいいわけで、
そんな現状があるのかもしれないが、
それがどうしたわけでもなく、
相変わらず政治宣伝に歴史を利用している人たちはいくらでもいて、
そのような政治宣伝化した歴史を信じている人も大勢いるわけで、
それ以上のどんな作用も働いていないわけだが、
そもそもそれらの人たちは歴史に何を望み、
何を求めているのだろうか。
歴史に否定的な意味や行為が含まれていることの何が不都合なのか。
どうしてそれが自虐史観と結びつくのだろうか。
それは歴史を政治利用するという行為から、
不都合な内容を隠蔽したり削除したりする必要が生じてくるのであり、
政治利用しなければ
それらがあからさまに顕在化していても構わないわけで、
要するに政治利用をやめれば、
面倒なことはなくなって、
おかしな事態も論争も招かなくなるのかもしれないが、
それはできない話で、
政治的な主義主張は絶えず自己肯定や自己正当化を強いられていて、
現状を肯定し正当化するのは、
過去からの延長として肯定し正当化しなければならず、
現状の延長としての過去も肯定し正当化しなければならないから、
結果として自分たちは過去から連綿と続く正しい行いを
継承する立場であることを、
喧伝する必要に迫られるのではないか。
それが自分たちの立場や行為の正統性をもたらし、
その正統性を裏付ける根拠が正しい歴史となるのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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