文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.11.13 「環境」

2015/11/14

どうも誰が何を考えているわけでもなく、
誰もが周りの環境に順応しようとしているのではないか。
もちろん多くの人が順応できなくて思い悩み、
現状を不快に感じることしかできないのかもしれないが、
それでも生き延びるためには順応しなければならず、
実際にやっていることと思っていることの間で
葛藤があるのかもしれないが、
そのやっていることが、
果たしてやらなければいけないことなのかどうかについても、
迷いと疑念が生じているのかもしれない。
そんなことはどうでもいいと思うと、
それは思考を放棄したことになってしまい、
放っておけば周りの環境に順応すべく、
それ相応の努力をするように仕向けられてしまうのだろうが、
やはり順応するように強いてくる圧力に逆らって、
そのような作用について考える必要を感じてしまうわけで、
必要がなくなってしまえば、
もうそんなことについて語らなくてもよく、
その語る必要がなくなってしまう成り行きに身をまかせれば、
周囲の環境に順応したことになるのだろうか。
語るということはそうなる成り行きについて語ることでもあって、
その過程を無視できなければ、
まだ語る必要性を感じている証拠かもしれず、
なぜ必要なのかははっきりとはわからないにしても、
環境に順応するとその環境の一部となって、
それ以上は何も考えなくても、
ただ環境からもたらされる作用に従って動いていればよく、
動いていれば生きていけるならそれに越したことはないわけで、
それがその環境で生き延びるための掟なら、
その掟に従っていれば何とかなる環境が、
そこで成立していることになるのではないか。
たとえ現状では成り立っていなくても、
環境が自身を守ってくれると信じていれば安心できるだろうか。
安心はできないだろうが、
その環境に順応したければ信じようとするしかなく、
自分を生かしてくれていると信じる環境に服従していれば、
とりあえずそれ以上は考えなくてもよさそうだ。
もちろん人は環境に付き従うだけでは満足しないだろうし、
絶えず環境に働きかけて、
その環境から利益を引き出したいのだろうし、
そのような働きかけによって、
環境を自分の有利になるように作り変え、
思い通りに制御しようともするわけで、
環境に付き従うふりをしながらも、
あわよくば環境そのものを支配したいとも思うだろうか。
そこまで大それたことは思わないにしても、
そのような下心があるから媚びへつらうわけで、
それも環境に順応するためには必要な動作かもしれない。
そのような欲が環境に投影される余地がないと、
付き従っている意味も旨みもないわけで、
思い通りになるような幻想を抱かせるのも、
人を環境に順応するように強いるには必要な仕組みだろうし、
人を惹きつけてやまない環境には、
惹きつけるための誘惑の罠でも張り巡らされているのだろうか。
そのような環境に身を投じてしまった人に
何を言っても無駄かもしれず、
すでにそのような環境下でそれなりの成功を収めた人なら、
さらにどうにもならないだろうし、
逆に成功者に対する妬みや僻みと受け取られて、
哀れみの言葉などを皮肉を込めて送り返してくるのではないか。
そしてそのどうにもならないことについて考えようとすると、
考えることやそれについて語ることを阻害する、
様々な不自由に直面してしまうだろうか。

考えなくてもそれについて語らなくてもよく、
ただそれに順応するように心がけていれば、
すべてがうまくいくわけではないが、
思い悩んでいることにも不自由を感じていることについても、
それはそれで仕方のないことだと納得できるだろうか。
納得はできないだろうが、
自らの力ではどうにもならない環境の中で生きていることぐらいは、
認識できるかもしれないが、
認識したところでどうなるわけでもなく、
順応できなければ生きていけないわけで、
順応するには心身ともに痛みを伴うから、
それなりには逆らいつつも、
同時にそれが無駄な抵抗であることも思い知らされ、
思い知らされているのに、
なおも無駄な抵抗を試みている自身にも気付くわけで、
たぶん無駄な抵抗を試みることこそが生きがいなのかもしれず、
その肯定も正当化もできないような行為こそが、
それについて考えることであり、
それについて語ろうとすることにつながっているわけで、
それを続けていることが無駄な抵抗であり、
何ももたらされないことを思い知らされつつも、
とにかく考えなければならず、
そして語らなければならないのだろうが、
それが不要となれば、
そこで環境への順応が完了したことになるのかもしれず、
その完了が何を意味するのかといえば、
何らかの得体の知れぬ圧力に屈したことにでもなるのだろうか。
それはそうなったとしてもわからないことで、
それも身の回りを取り巻く環境からもたらされる幻想であり、
勝手な思い込みには違いないだろうが、
そんな幻想や思い込みがないと、
無駄な抵抗など続きようがないわけで、
その無駄だと思っていることが、
何かのきっかけで無駄ではなくなるかもしれないと思い込むことも、
そんな幻想や思い込みの延長上にあり、
そんな微かな希望などを抱くようなら、
すでに環境の中で張り巡らされた罠に
はまっていることになるのかもしれないが、
たぶんそうはならずに、
今後も延々と抗い続けながらも、
それらの環境の表層に留まろうとするだろうし、
表層にとどまっている限りは、
それはいつまでたっても無駄な抵抗であり続け、
それを継続させている限りは、
それについて考え語っている現状に留まり続けることになりそうだが、
それがいつまで続くかは何とも言えず、
本当にいつまでも続くのか、
あるいはすぐにでも途絶えてしまうのかは、
実際にそうなってみないことにはわからないのであり、
それがわかったところで何がどうなるわけでもなく、
そうなったことがわかるだけだろうか。
わかってしまってはまずいわけで、
わからないままでいることが実践の中にいる証しで、
わかってしまえばもうそこから離脱していることになり、
単なる物分かりのいい人になってしまうわけか。
物分かりのいい人は他人から好かれるだろうし、
安心されるだろうが、
それだけ利用価値があり、
利用することによって
利益をもたらしてくれるありがたい人かもしれないが、
やはりそうなってしまったらおしまいだろうか。
そういう意味でも疑念を抱いていることは
まだ抵抗してることの証拠となりそうだ。
実際に疑念を抱かざるをえない環境であり、
そんな環境の中で生きている。

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創刊日:2001-03-26  
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