文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.11.2 「単純化」

2015/11/03

意味のないことよりも意味のあることのほうが安心できる。
意味は他の多くの社会的な価値観に支えられて生じるもので、
世の中に認められ評価の対象となることが、
意味のあることとなるだろうか。
一方意味のないことは無価値で無駄なことなのかもしれず、
他の何ものにも束縛されずに、
評価の対象とはなり難いことなのではないか。
社会的に認められたければ意味のある行為をしないと、
他の誰からも相手にされないかもしれないが、
やっていることに意味が生じるようになるのにも、
他の人や団体との関わりがないと、
そのまま放って置かれるだけで、
無視されたら無意味なままにとどまるしかないだろうか。
だが意味を得るために謙虚になって、
やっていることの宣伝活動でもしたところで、
それが利益に結びつかなければ、
他の人や団体との結びつきが生まれるわけもなく、
その結びつきの強度も利益が出る量や質に左右されるだろうか。
何の利益も出ない行為なら
強固な結びつきなど生まれるはずがなく、
せいぜいが善意の連帯ぐらいがちょうどいいのかもしれないが、
それだけではやっていることが長続きしないだろうか。
他で利益を得ている余裕のある人たちが、
善意の連帯で結集するのが市民運動などになるだろうが、
その市民運動が批判している対象が、
利益目当てで集まった強欲で資本主義的な行為だとすれば、
どちらの結びつきが強いかは一目瞭然で、
ボランティア活動より企業活動などの方が
利益目当てである限りにおいて、
強固な結びつきを保ち得る活動であり、
利益を出している限りはそちらの方が強力だろうか。
だが市民運動と企業活動を比較すること自体が無意味かもしれず、
世の中には様々な現象に応じて様々な活動があり、
種類の異なる活動は方向性が違い、
中には金銭的な利益には結びつかない活動もあるということだろうか。
たぶん公共の利益を優先させれば、
個々の利益を目指す金銭を得るための活動からは離れるしかなく、
そういう意味では公共の利益とはわかりにくく、
具体性に乏しいのかもしれないが、
それがないと世の中は成り立たず、
個人や企業の金銭的な利益追求も
うまくいかなくなってしまうだろうか。
生活保護制度を悪用して金銭をだまし取る行為は罰せられるわけだが、
悪用が絶えないからと言って制度を無くすのはおかしいし、
生活保護を受けている人達を批判するのも筋違いだろうが、
そのような制度があることが、
公共の利益に合致するという論理はわかりにくく、
何か事情があるにしても、
働きもせずにのうのうと暮らしているのが、
腹が立って仕方がないという人達にとっては、
公共の利益も私的な利益も同じに感じられてしまうだろうか。

人が私利私欲で生きているのは当然のことで、
それと公共の利益が結びつかないのも当然のことかもしれない。
そして人や団体が関わっているすべての活動を、
金銭的な損得勘定で評価しようとすれば、
無駄で無意味な活動などいくらでもありそうに思えるだろうが、
それらがないと金銭的な利益の追求も成り立たなくなるわけで、
一つの価値基準ですべてを推し量るのに無理があることは
当然なのだろうが、
ひとたび金銭的な利益追求活動がうまくいかなくなると、
他の活動にもしわ寄せが来るのも当然で、
金銭的な損得勘定を優先させれば、
その価値基準からすれば無駄で無意味な活動は、
批判の対象となってしまうのだろう。
国の予算でも支出ばかり多く、
収益の少ない福祉予算などは真っ先に削減の対象となるだろうし、
逆に軍需産業を振興させる目的で
国防費は増やす傾向にあるのかもしれず、
公共の利益を重視する市民活動家からすれば、
人の命を守る福祉予算を削って
人の命を奪う軍事費を増やすなど、
あってはならないことのように思われるかもしれないが、
右翼の保守勢力に属する人たちからすれば、
国民の命と財産を守るために国防費を増やすのは当然で、
逆に仕事もせずにのうのうと暮らしている人々のための、
生活保護予算こそ削るべきだと主張するかもしれない。
国が金銭的な損害を被って人を助けることが、
批判されるのも無理はないが、
人がいないと金銭的な利益を追求できないことも確かで、
生活保護を受けている人の数など大した割合ではないにしても、
支給される金銭を使って商品を買って生活していることは確かで、
商品を売ることで利益を得ている企業活動にも、
わずかであっても貢献はしているわけで、
また防衛費を増やして軍需産業を振興するよりは、
はるかに少ない金額で済んでいることも確かだが、
国防予算と生活保護予算を比較するのも、
その目的や方向性が全く違うのだから、
やはり比較すること自体に無理があり、
無駄で無意味な比較であり、
特定の利益追求活動を擁護したり批判したりするときに使う、
不自然で奇妙なこじつけなのかもしれず、
そういう言説を用いる政治家や評論家などの言動にも
注意しなければいけないのだろうが、
それに気づかない人たちがそのような言動に丸め込まれ、
一つの価値観ですべての現象や活動を評価して、
そのような価値観に基づいた行為だけ評価して、
他の行為全般を否定し、
中には誹謗中傷する輩までいるわけだが、
どうもそのような単純化を正当化して
それに凝り固まってしまうのにも、
何か社会全体の余裕のなさが影響を及ぼしているのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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