文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.10.18 「教育」

2015/10/19

歴史を自らの主張に利用しようとしても、
それは過去の集積でしかなく、
少なくともそれの延長上に未来があるとは限らず、
すでに起こってしまったことと、
これから起こることには違いがありそうだ。
ではこれから何が起こるのだろうか。
それを予想することに意味などないだろうか。
ただ予想するだけならそうかもしれないが、
その予想が当たれば自己満足に浸れるのではないか。
それだけのことかもしれず、
他に何を期待しているわけでもなさそうだ。
確かに人はこれから起こることを予想して、
それが当たれば喜びそうだが、
それ以外に大した意味などないだろうか。
これから起こる事態を予想して、
それに備えるというのはありそうだが、
備えたところで予想が外れたら、
備え自体が台無しになってしまうことだってありそうだが、
それは予想する事態の性質にもよるだろうし、
備えの種類にもよるだろう。
具体的に何を予想したいのかはっきりせず、
何が起こることに備えているわけでもないのに、
ただ漠然とこれから何かが起こるような気がするだけでは、
予想とは言えないだろうが、
これまでの前例になかったことが起こってほしいのかもしれず、
思いがけない事態に遭遇してみたいのかもしれないが、
ここで現実に遭遇している事態がそうなのであり、
人は絶えず新たな事態に直面しながら生きているのではないか。
現在進行形で動いている成り行きがそうなのであり、
そんな事態に直面しながらも、
それに対処しつつ生きているわけだ。
世の中で生きている人々がそれぞれに直面している事態が、
別に前もって予想されていたかどうかは、
それほど重要なことではなく、
その事態に対処していることこそが、
人が現に行っていることの全てなのかもしれず、
対処することによってなんとか生きながらえているのではないか。
それに対処できなくなれば
そこで息絶えてしまうことになるのかもしれず、
とりあえず死んでいないなら、
なんとか対処できていることの証しであり、
それが当たり前のことなのだろうが、
その当たり前のことが重要であり、
まずはそれが必要最低限のことであると同時に、
それだけでも構わないのかもしれない。
それ以上を求めなければそういうことになりそうだが、
人は常にそれ以上を求め、
その求めているものを巡って他の人たちと競い合い、
その種類によっては
闘争の中で命を落とすこともあるかもしれないが、
生きている以上は
やはり争わずにはいられない成り行きになってしまうらしい。

求めているものが富や名誉や権力ならわかりやすいだろうが、
それ以外に何を求めるべきなのだろうか。
求めるべきなのではなく、
求めようとするのでもなく、
ただ結果的に求まってしまうものならいくらでもありそうで、
たぶんそれは求めたくはないものであり、
例えば死や病や貧困などがありそうだが、
他に何があるだろうか。
それは良くも悪くもなるような運命だろうか。
そして運命と共に未来もやってくる。
人はそれまでにやってきたことを正当化して
肯定せずにいられないが、
国家主義者も自国がやってきたことを正当化して
肯定せずにはいられない。
人も国も自虐史観では困るのだろうし、
自分の半生や国の歴史を誇りたいのだろう。
それが精神の拠り所だとしたらそうなるしかないだろう。
果たしてそれ以外に拠り所があるだろうか。
たぶん支えてくれるものがなくても人は生きているのではないか。
何が支えになっているとも思えなくても、
何となく生きているのかもしれず、
それを意識する必要がない人も中にはいるのではないか。
過去から現在に至り、
その延長上に未来がやってくると考えれば、
過去を肯定することで現在も肯定でき、
それらを肯定できれば、
さらにこれからやってくる未来に対する備えも
できるような気になれるかもしれないが、
それは過去を守っていることになり、
自分たちに都合の良い歴史を守り、
それを未来に伝えようとしているのであり、
未来の人たちをそれによって拘束したいのかもしれない。
未来の人たちが自分たちの教えを守らずに、
好き勝手なことをやられては、
今の自分たちが許さないと思っているのかもしれず、
未来が自分たちの思惑通りになってほしいのだろうか。
国家や文化の伝統を
未来の人たちにも継承してほしいのかもしれないが、
いくらそれに向けた備えを施したところで、
未来の人たちは過去の人たちや歴史を讃えてくれるだろうか。
とりあえずそうなるようにしたくて教育熱心になって、
子供達が愛国教育や伝統的な文化に親しむように
仕向けているのかもしれない。
そのような備えが実を結んで国民が愛国者ばかりとなれば、
それはそれで結構なことかもしれないが、
国がそれらの愛国者たちに対して報いることができるだろうか。
その時になってみないことにはわからないが、
その時が果たして訪れることがあるのかどうかも、
今のところははっきりせず、
そうなる前に国家そのものがなくなってしまえば、
それらの愛国教育の類いは
無駄で無意味なものとなってしまうだろうか。
そんなことは今生きている人たちには知ったことではなく、
とにかく未来に対する備えをしっかりとやることで、
自己満足が得られるならそれで構わないのかもしれず、
そのためにも愛国教育が欠かせないのだろうし、
それが未来の人たちにとって利益となるのか、
あるいは足かせとなるのかはわからないが、
少なくとも今そういう方向で動いている人たちにとっては、
そうせざるをえない成り行きとなっていて、
それなりに国の将来に危機感を抱いているから、
そんなことをやりたがるのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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