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彼の声

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彼の声 2015.10.12 「増殖する何か」

2015/10/13

否定したければそれを否定すればいいのかもしれないが、
どうも否定する気にはなれない。
政治の延長が戦争なのだろうし、
そこには政治的な駆け引きがあるのではないのか。
そしてその政治的な駆け引きが戦地に暮らす人々を苦しめている。
だがそこから遠く離れた平和な地域に暮らす人々にとっては、
そんなことはどうでもよく、
要するに戦地に近づかなければいいわけだが、
関係国の軍隊に入っていれば、
嫌でも戦地に出かける可能性が出てきて、
出かけて行って何らかの形で戦争に参加すれば、
自らが死傷する可能性が出てくるわけだ。
戦場カメラマンや記者などのメディア関係者も、
「国境なき医師団」などの医療関係者も、
戦地で活動していれば同様に死傷する可能性があり、
メディア関係者は戦場の様子を伝えるために、
医療関係者は負傷した人々を救うために、
それぞれの活動内容から生じる使命感を抱いて活動しているのだろうが、
実際にそこで戦っている兵士たちにも、
それ特有の使命感があり、
彼らが信じている正義のために戦っているのだろう。
それを否定しても無駄なのかもしれず、
兵士たちが戦場で残虐なことをやっても、
そういうことをやるのが戦争だと解釈すればいいわけで、
そんな残虐行為を後から否定しても、
それが何を正当化することもにならず、
そこで戦争が行われた事実が変わることはない。
伝え聞く残虐行為は戦争から生じた枝葉末節の出来事だ。
サウジアラビアの一般家庭で、
外国人の出稼ぎ家政婦を処罰するのに、
右腕を切り落としたというニュースが最近あったが、
戦争でなくても人は平気で残虐なことをやるわけで、
サウジアラビアに残酷な風習が残っているとしても、
それが他と比べて特異なわけではなく、
日本でも猟奇的な殺人事件などいくらでもあり、
人はやれる可能性があることは、
その場の状況に応じて何でもやるのではないか。
そういうものだと認識しておいたほうがよさそうだ。
だから人がいくら死のうと、
国民の半数が家や財産を失い、
難民となって国外へと逃れようと、
シリアでは独裁者の大統領は全く辞任する気はないし、
それと連携関係にあるロシアも、
シリアからの要請に応じて、
空爆して反体制派を潰そうとしてくる。
日本の漫画家がそんなシリア難民に偽装して
ドイツにやってくる移民を揶揄して、
「そうだ難民しよう!」という風刺画を描いて、
世界で顰蹙を買っているようだが、
偽装難民も漫画家も、
別にシリア難民に同情しているわけでも、
彼らを支援しようとしているわけでもなく、
彼らを利用して、
あるいは彼らを題材として、
それぞれに自分たちの信じることをやっているわけだ。
移民が偽装難民となって祖国から出て行くのも、
漫画家が風刺画を描くのも、
それぞれにそうするに至った彼ら特有の成り行きがあるのだろう。

自分たちの価値観に基づいて偽装難民を否定したければ、
勝手に否定していればいいわけだが、
否定したところで偽装難民がなくなるわけではなく、
そこに至る様々な事情があるのだろうから、
そんな事情が変わらない限りは、
これからも同じような行為が続いてゆくのではないか。
そうやって人々は国から国へと移動してゆくのであり、
その国の国民だからといって、
嫌でもその国にとどまっている義理はなく、
やっていられなくなれば、
出て行かざるをえなくなるわけで、
迫害されていようと金目当てであろうと、
理由が何であれ移民が発生している現実があり、
それをいくら否定して批判しようと、
現実は何も変わらないだろうし、
それとは関係のないところで、
移民とは違う成り行きの中で暮らしている人が、
何やらもっともらしい意見を述べているに過ぎないだろうか。
しかもそんな意見を述べても構わないわけで、
場合によっては無神経な風刺画を描いて顰蹙を買っても、
その人にとっては炎上商法のような肯定的な効果があるのかもしれず、
その人にとってはそういう成り行きとなっているわけだ。
そしてそれとは無関係に移民も難民も命がけで、
目的の国を目指して危険な旅をする。
中には運悪く途中で力尽きて死んでしまう人もいるわけで、
彼らは彼らなりに、
自らの行為に対する報いを受けていると言えるかもしれず、
そんな彼らを少なからず受け入れようとするドイツを、
人道主義的なきれいごとを嫌う人々が何かと批判したいらしく、
揚げ足取りをする機会を狙っては、
何かとシニカルで冷笑的な物言いで、
ドイツの欺瞞性や偽善性を語ろうとするわけだが、
そこにもドイツ特有の歴史的な経緯と事情があって、
そうせざるをえない成り行きがあるわけだから、
それらの批判の有効性は同じようなメンタリティの仲間内だけだろうし、
それがなかなか当のドイツまで到達するには至らないようだ。
批判の対象が批判によってどうにかなるのは稀なことなのかもしれず、
大抵は批判しっぱなしで、
面と向かって批判されても聞く耳を持たない人が圧倒的な多数のようで、
批判をかわそうとするか無視するかの、
どちらかしか選択肢を持たないわけだが、
そういうことが度重なると、
批判が無効な状況が生まれ、
それを受け取る人の善意にしか批判は有効に機能しないのかもしれず、
批判を拒絶しようとすればいくらでも拒絶できるのが、
批判の弱点であり、
また批判はその拒絶に向かって、
絶えず投げかけられているのかもしれない。
実際に批判を拒絶する態度が、
それに対する批判を増殖させる。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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