文学

彼の声

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彼の声 2015.10.10 「思考と実践」

2015/10/11

たぶんそれは冗談なのではないか。
それを頭で考えようとすると何も考えられなくなり、
考えられなくなると別のことを考え込んでしまう。
いったい何を考えようとしているのか。
それは幼稚なことに違いなく、
ずるいことでもありそうだ。
世の中でうまく立ち回るにはどうしたらいいだろうか。
そう考えると自らに嘘をついていることになるだろうか。
本当はそうではなく、
世の中が自分の思い通りになるには、
どうすればいいのか考えているのではないか。
自分がそうしたいのではなく、
世の中が自分のためにそうして欲しいと思うわけだが、
そもそも思い通りとは、
具体的に何をどうして欲しいのかわからず、
それを考えあぐねている最中なのかもしれず、
いくら考え込んでも何も出てこないとなると、
もとからそんなのはありえないと思うしかないだろうか。
思い通りになるとは後からそう思うのであって、
何かをやった結果が自分に都合がよければ、
思い通りの結果になったと喜んでいるわけで、
自分に都合の悪い結果なら、
世の中は自分の思い通りにはならないと嘆くわけだ。
だから人はうまく立ち回って、
自分に有利になるような結果を引き出したい。
そして有利になるような結果を得られたら、
思い通りに事が運んでくれたと安堵する。
では世の中でうまく立ち回るにはどうしたらいいだろうか。
戯れにそんなことを考え、
いくら考えても答えなど出ないだろうし、
あるいは調べればいくらでも答えなどあるだろうし、
またそんないくらでもあるような答えに興味はないだろうし、
では何か気の利いた納得できて魅力的な答えがあるかといえば、
あるとしても怠惰が邪魔をして、
それを実践するには至らないのではないか。
では何のために考え込んでいるのかといえば、
暇つぶしかもしれないし、
他に何も考えることがないのかもしれないし、
別にそんなことはどちらでも構わないような気がしてくる。
要するに深刻に考えるようなことではないのだろうが、
結局はそんなことを考えてしまうわけだ。
その程度のことではあるのだが、
その程度のことしか考えられないのは、
貧困なる精神なのかもしれず、
それを深刻に受け止めるべきなのか、
あるいはどうということはないのか、
たぶん後者であると思っているのだろうが、
そのどうということはないことが、
精神の貧困をもたらしているとしたら、
事を深刻に受け止めるべきだという結論に
持って行きたい衝動にかられるかもしれず、
そんなことが頭の中をぐるぐる回っていると、
気の迷いか心の病か知らないが、
どちらでも構わず、
そのどちらでもないこともわかりきっているわけだが、
そんな冗談のついでに
自己厭悪という言葉が引き出されるのかもしれない。

たぶん思考がどのような答えに依存していようと、
またどのような答えを導き出そうと、
それでうまくいくがどうかは、
実際にやってみないことにはなんとも言えず、
どちらかといえばその思考から導き出された答えが、
大して役に立つわけでもないことの方が多いのではないか。
だから何か机上の空論みたいなことをいくら述べてみても、
それがどうしたわけでもないことは明らかで、
そこから何が生じるわけでもないらしい。
実際には何も生じないわけではないが、
結果的に生じるのは言葉の連なりと思考の堂々巡りと、
あとは何が生じるのか。
それはいわゆる諦念の類いかもしれないが、
虚しく思うことの中に、
何かまた新たに思考するきっかけを探しているのかもしれず、
机上の空論を諦めさせる盲点のようなものを
探しているのかもしれない。
現状ではどう考えても
物や情報を売ったり買ったりするルールを
変更することはできなそうだし、
それが世界全体に行き渡っているのだから、
それ以外のやり方を模索するのは不可能に思われ、
そういう方向での変革はありえないのではないか。
だから貨幣を介した物や情報の売り買いというルールを前提として、
そのようなルールの範囲内で、
何か改良すべき点を考えなければならないのだろうか。
もしかしたらそうではなく、
別に現状でそんなことなど考える必要はなく、
実際にそのようなルールでの営みが行き詰まってきたら、
それとは別のルールが
人々の間で自然に行われるようになるのかもしれず、
結局人は考えるよりもまずは行動が先に来て、
その行動の結果として生じた現象について考えるわけで、
そのようなフィードバック機能が、
人に備わった本来の思考作用なのではないか。
そして思考の結果が文章となり、
その文章を構成する行為の結果として、
他の人々にもその思考内容が伝達されるわけだ。
だからまず考えてから
その考えを実践に移しているように思えるにしても、
そのような考えをもたらす行為がすでに他で行われていて、
そのような行為こそが
別の場所や別の時代において行われた試みであったり、
その内容を書き記した他人の文章であったりするわけだ。
そして現状では
貨幣を介した物や情報の売り買いから利潤を求めるやり方が、
次第にうまくいかなくなってきていて、
経済格差や貧困問題などの様々な弊害を生み出しているわけだが、
それを解決する方法を模索する人々が、
別の場所や別の時代に行われた試みや、
そのような試みの結果を踏まえて著された書物などを参考にして、
なにやら思考し、
その思考した内容を文章として発表したりしているわけで、
さらにそんな文章を読んで、
また新たに思考する輩も出てくるのだろう。
果たしてそんな試みや模索が、
それらの弊害を解消する答えを導き出すことができるだろうか。
あるいはたとえ導き出せなくても、
本当に行き詰まってきたら、
自然とそれとは違うやり方が登場するのだろうか。
少なくとも貨幣を介して物や情報を売り買いするルールは、
自然に人々の間で発生して、
自然に世界中へと広まったルールであることは確かだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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