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彼の声

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彼の声 2015.10.4 「批判の有効性」

2015/10/05

考えられることはたかが知れていて、
人はどこまでも愚かかもしれないが、
愚かなりにも考え、
考えたことを実行に移しているつもりになれるだろうか。
少年漫画の世界のように、
そう都合よく強大な敵が現れて、
それとの戦いをエスカレートさせていくうちに、
なにやら必殺技のごとき攻撃手段が編み出されるわけでもない。
何かと戦っているつもりになっても、
相手にされていないことも多いだろうし、
誰かがメディアによって注目を浴びると、
それが面白くない人も大勢いることは確かなのだろうが、
安保法案の反対デモを呼びかけた人たちの中で、
たまたま学生のグループが注目を浴びて、
他の大勢の人たちがそれに乗っかって、
その運動が全国規模の盛り上がりを見せるようになった
と考えておいた方が、
特定の政治勢力による陰謀だとして攻撃するよりは、
差し障りがなく無難なところだろう。
実情がどうであれその程度のことだと見なしておいた方が、
注目を浴びてしまった学生のリーダーのためにもなるだろうし、
別にその人に大衆を扇動するための
特異な才能などがあるとは思えないし、
それほどはっきりした行動原理が運動方針などが
固まっているわけでもないだろう。
それを大げさに取り上げて賞賛したり批判するのは、
メディアの誇張表現なのだろうし、
もちろん世間の注目を浴びたわけだから、
そうなるのが当然の成り行きかもしれないが、
メディア関係者でない人たちなら、
取り立てて問題視するようなことでもないだろう。
彼らと敵対しているつもりの人たちはそうはいかないのだろうが、
流行り廃りのブームは飽きられたら終わりで、
話題性がなくなればさっさと忘れられてしまうだろう。
それがたとえ政府が理不尽な法律を成立させて
民を苦しめていると思われようと、
それをいくら批判しようと糾弾しようと、
どうにもならないのではないか。
そのような忘却に手を貸すメディアなどいくらでもあるだろうし、
実際にそれらの反対運動は
そんな作用にさらされているのかもしれない。
終わったことは終わったこととして、
別の話題にすり替えたいのではないだろうか。
そんな忘却作用に逆らいながら
これからも運動は続けられていくだろうが、
果たしてそれが選挙結果に結びつくかどうかは、
政財官プラス御用メディアが世の中を牛耳っている現状では、
なんとも言えないところか。
本当にそんな現状なのかどうかもよくわからず、
批判的な言説の中でよくそういうことが言われるだけで、
案外牛耳っているという程度が、
どうでもいいような範囲内でそうであって、
それとは無関係なところに意識がある人がほとんどなのかもしれず、
例えばマイナンバー制度というのも、
それによって国民の生活情報が管理され、
官僚が国民を支配するための道具となる、
と恐怖感を煽りながら批判する人たちがいるわけだが、
そうやって大げさに騒ぎ立てようとすればするほど、
実態や実感とはかけ離れて、
やはり飽きられ忘れ去られてしまうのかもしれない。

たぶんそれらの批判が必ずしも的外れなのではないだろうが、
安保法案やマイナンバー制度、
あるいは派遣法の改正にしても、
恐怖感を煽って批判するやり方そのものが、
平和な世の中で弛緩しきった人々の心に響かないことは否めず、
ではそれ以外にどんな批判が可能かといえば、
要するに批判が有効に機能しない状況なのではないか。
しかもたとえ有効には機能しなくても、
批判しなければいけない状況なのだろうか。
批判している人たちにとってはそうであり、
無関心な人たちにとってはどうでもいいわけか。
どうでもいいわけではないのだろうが、
大したことではないと感じていて、
自分にそれほど害はないと思っているのかもしれない。
そうでなくても何をやるにしても使うにしても
利用者登録などの登録が必要で、
その度にアンケート調査のような類いがついて回り、
カード会社や通信業者からスーパーのポイントカードまで、
世の中の様々な場面で情報の管理がついて回り、
すでに管理社会の真っ只中に生きているわけだから、
その中の一つとして国家からの管理も強化されようとしていて、
実際に個人情報が管理されているわけで、
管理されることについては
実際にそれがもとで事件に巻き込まれるなどしなければ、
恐怖感も実感もわいてこないのが正直なところかもしれず、
何もなければ何とも思わないのは当然だ。
そういう性質の統治であり、
全体主義や恐怖政治などとは違って、
直接の痛みを伴わないやり方なのだろう。
そして直接の暴力を伴わずに国民を管理できれば、
そんなに楽なことはないのかもしれない。
そして国民の方も統治されているという実感がわいてこなければ
無関心となり、
どちらにとっても有益に思われるのかもしれず、
恐怖感を煽って批判する人たちは、
そういうことがわかっていないというか、
彼らもそれに気づかないほど実感が湧いてこないのではないか。
だから批判が有効に働かなくなってしまうのだろうか。
全体主義や独裁体制のもとでは、
そういう批判をすると処罰の対象となるから、
やるには勇気がいるだろうし、
実際にやって処罰されたり
処刑された人たちも数知れずかもしれないが、
そうではない体制のもとで同じような批判をしても、
処罰の対象にもならず、
確か学生のリーダーは殺すと脅迫されているらしいが、
体制側からの言論弾圧はそれほどあからさまではなく、
命の危険にもさらされないはずなので、
いくらでも批判できるわけだが、
いくらでも批判できるということは、
それが無効だからいくらでもやることができるのではないのか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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