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彼の声

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彼の声 2015.9.23 「物事の必要性」

2015/09/24

物事を一方向に考えれば矛盾にぶち当たり、
多方面にわたって考えれば取り止めがなくなる。
それでも考えないよりは考えたほうがマシだろうか。
考える必要がなければ考えなければいいわけだが、
必要とはなんだろう。
人は必要に促されて考えるのだろうか。
そういう場合もあるが、
そうでない場合もありそうだ。
なぜか理由もなく考えているわけで、
考えていることを意識すらしていない場合もある。
知恵を絞って一つの物事について考えているつもりが、
気がつけば取り止めのないことばかり考えていたりする。
それでも考えることが必要なのだろうか。
必要だから考えていると思っていれば事足りるだろうか。
必要だからという理由で構わないのかもしれず、
やはり人は必要に促されて考えている、
としておいたほうが無難なのだろうか。
では必要というのは、
本当に必要だから必要と考えるのだろうか。
どうもそこから先は循環論になってしまいそうだが、
人にとって本当に必要なものとは何か、
という問い自体が、
それが必要だと信じ込むための途中の過程で必要だろうか。
とりあえず人が生活するのに最低限必要なものは、
衣食住とそれを継続的に得るための手段だろうが、
自給自足ができなければ、
それを得るには買わなければならず、
買うためには金銭を必要とし、
金銭を得るには何かを売らなければならず、
物や情報を生産して売るか、
労働力を売って賃金を得るか、
ということになりそうだが、
そういう次元での必要性はあまりにも自明なことで、
改めて考えるまでもないことだ。
普通はもっと具体的に、
原発は本当に必要なのかとか、
リニア新幹線は本当に必要なのかとか、
そういうところで政治的あるいは経済的に、
メディア上で識者やジャーナリストなどがあれこれ論じるわけだが、
たぶん本当に必要かどうかはよくわからないのではないか。
それを製造したり保守点検したりする業者にとっては必要なのだろうが、
利害関係のない一般の人たちにとっては、
それらがあることによってどれほど生活が快適になるか、
などということはよくわからず、
勿論それに携わっている企業や関係する政治家の宣伝文句に踊らされて、
それが必要だと思い込んでいる人が大勢いるわけだが、
宣伝文句や専門家のもっともらしい必要論を取り除いてしまうと、
どちらでも構わなくなるのではないか。
そういうところで、
どうもその手のものが必要であるか否かというのは、
それがあることによって利益が得られる人や企業以外は、
どうでもいいことなのかもしれず、
それよりもそれがあることによって損害を被りそうな人にとっては、
そんなものはないほうがいいということになるわけだが、
たぶんそれは実際に損害を被ってみないと
自覚できないことなのかもしれず、
そこが企業や政治家や必要論を訴えかける専門家が付け込める点で、
まだ被害の出ていない人たちに向かって、
その必要性を訴えかけることによって、
なんとかそれらの人たちを信じ込ませて、
そこから利益を得ようとするのではないか。

世の中にはその手の必要であるかないかわからないものが
溢れかえっていて、
それらのどこまでが本当に必要か否かなんてわかりようがなく、
利益を得ようとする人たちによる宣伝文句や
必要論を信じることによって、
それを買わされたりする場合がほとんどなのかもしれず、
自分で考えて買う場合もあるだろうが、
考えている時点ですでに、
その手の宣伝文句や必要論などを目にしているから、
いくら考えても買うか買わないかの、
客観的で公正な選択などはあり得ないわけで、
意識しないうちに誘導されてしまっているかもしれない。
そしてそういう必要であるかないかはっきりしないようなものを、
人々が買ったり利用したりすることでしか利益が出ないとすると、
そのようなものの必要性とはなんなのだろうか。
それは人類の文明や文化に関係する何かか。
例えば古代エジプト文明は、
ピラミッドをはじめとして巨大な建造物を造っていたが、
王朝の権威を示すためには
それらの建造物は必要であったかもしれないが、
一般の農耕民にとっては特にそれらがあったからといって、
日常生活とは無関係だったかもしれず、
少なくともそのようなものがない他の地域では
必要ではなかったわけで、
無駄と言っては語弊があるが、
文明が栄えた地域は例外なく
巨大な神殿や墳墓の類いが建てられていたのだから、
要するにその地域に富が蓄積されて有り余ってくると、
そういった巨大な建造物などが建てられる成り行きになるわけだ。
そして古代人がそれらの建造物を建てるきっかけとなったのは、
宗教的な動機が強く働いたと考えられ、
人々にそのようなものを建てることが
必要であることを信じさせる何かがあり、
それがやはり宗教の司祭などが
民や王侯貴族などに向かって訴えかける、
宣伝文句や必要論の類いなのではないか。
そしてそれを大勢の人が信じたから、
あのような大掛かりな建造物が
多大な労力と手間暇をかけて建てられたのであり、
そこには人々の信仰とそれを引きつける魅力があるのだろう。
そしてそれは現代にも生きていて、
確か事故が起こるまでは原発は夢のエネルギーであったわけで、
また考案された当初のリニアモーターカーは
夢の超特急であったはずだ。
そういった宣伝文句と
現代の司祭である専門家が訴えかける必要論が、
それらを建造させるための推進力となっていたはずだ。

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創刊日:2001-03-26  
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発行周期:不定期  
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