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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.19 「未来への分かれ目」

2015/09/20

別に何かの異変に気付いているわけではない。
昨日から今日にかけて、
何か変わったことがあったはずだが、
何がどうなったわけでもないのだろうか。
たぶんそうだ。
誰も反省しないだろうし、
自分たちに非があるとは思わない。
聞く耳を持たない人たちは、
相変わらず同じように聞く耳を持たないだろう。
そして何事もなかったように持論を繰り返し主張する。
本来はそうであってはならないのだろうか。
何が本来でもなく、
本来のあり方が現状を構成しているのではないか。
だが現状はそれだけではないのだろう。
何かが変わりつつあるのではないか。
何がどう変わるかは、
メディア上で論じられている限りでの変化かもしれないし、
それ以外のところで思いがけない変化が起こるかもしれない。
何を期待しているわけではないが、
何も期待していないわけではない。
期待以上のことが起こったのではなかったか。
現状を変えたい人々が大勢いることが明らかになったのだろうか。
そう思っている人は昔からいたのかもしれないが、
それが目に見える形で顕在化したわけか。
それだけではなく、
大勢で一つの目的のために一緒に行動したのではなかったか。
人々が連携し協力しないと、
何も成し遂げられないのが、
人が大勢集まって構成している社会の特性だろうか。
そういう集団行動が効果を上げる分野もあるのだろうが、
一方で個人の地道な努力が実を結ぶような分野もあるだろうか。
どちらにしても必ず努力が実を結ぶわけではなく、
実を結ぶこともあれば結ばないこともあるわけだ。
やる前からある程度は予想がつくにしても、
とりあえずやってみないことにはなんとも言えず、
やってみた結果がそうなったわけだ。
何もやらないよりはやってみたほうがいいのかもしれず、
実際にやってなんらかの成果を上げたのではないか。
目的を遂げられなかったといって、
別に失敗したわけではなく、
やってよかったと思う程度には成功したのではないか。
それが良い悪いではなく、
そういうことだと認識するしかないような結果だ。
それらの運動が何かをもたらしたとすれば、
そういう結果をもたらしたわけだ。
それで何かが変わるきっかけぐらいはもたらしたかもしれず、
変えようとして変えられるわけではないが、
人の力で思い通りに変えられるような世の中でもないのだろうが、
人が動くことで
世の中もなんらかの変化を起こすことは確かかもしれない。
だから行動できる人は行動した方がいいのだろう。
行動したからといってその行動が何を引き起こすかは、
実際に行動してみないことにはわからないが、
ともかく現状を変えたければ、
なんらかの行動を起こすことだ。
それが良いか悪いかは各人がそれぞれで判断するしかないが、
判断しようがしまいが、
行動すればなんらかの結果がもたらされるかもしれない。

現状のままで構わないなら、
別に無理に行動しなくてもいいのかもしれず、
これまで通りの日常を繰り返していればいいわけで、
現状が安定していて、
それで満足しているのであれば、
人はそうするのではないか。
そうもしていられなくなれば人は動きざるを得ない。
政治的なイデオロギーのレベルでは動かないとしても、
実際に不満が鬱積して耐え切れなくなれば、
人はなんらかの行動を起こすのではないか。
現代では昔のような
「ほしがりません勝つまでは」とはならないだろうし、
情報がなんらかの勢力によって
完全に管理されているとは言い難いから、
社会の中で対立を煽って
人々の間で不快感を増幅させるのは得策ではないが、
そういう意図がなくても不快感が増幅してしまう状況なのかもしれず、
実感としては確実に不満が高まっているのだろうか。
それは実際にまた人々が大勢で行動を起こせば、
そういうことだとわかるのかもしれないが、
それもそうなってみないことにはわからないことだ。
たぶんもたらされる結果とはそういうものでしかなく、
予想したり期待している段階ではまだ何も起こらず、
何ももたらされていないのだが、
そうなるかもしれないという願望が
そう思う人にもたらされていて、
その時点ではそう思っている当人が期待に胸を膨らませて、
自己満足に浸っているだけで、
実際には何も起こらないが、
誰もがそう思うことで、
行動に対する抵抗感がなくなるのかもしれず、
ネット上などで行動への期待や願望を書き込んで共感を煽るのは、
それを見て共感したり賛同したりする人々を、
行動へと駆り立てる効果があるのではないか。
しかも世論を気にして機動隊などを動員して
暴力で押さえ込むをためらっているとすれば、
身の安全を心配することなく
人が気軽に集まってくる雰囲気が醸し出され、
あまり悲壮感などを抱かずに
デモに参加する土壌が形成されるのかもしれない。
もちろん今回はたまたまそうなっただけで、
次はどうなるかわからない。
何も起こらず何も変わらないかもしれないし、
今まで通りの状況が
この先数十年も続いて行く可能性だってあり得るのではないか。
そうなることを願っている人が多ければ多いほど、
そうなる可能性が高まっていくのかもしれないし、
そんな人の思惑とは無関係に思いがけないことが起こって、
突如として世の中が激変することもあるだろうか。
それもそうなってみないことにはわからないだろうが、
人々の願望や期待が行動へと導かれるかどうかが、
世の中が変わるかどうかの分かれ目だとすれば、
不快な憎悪や怒りからもたらされる行動には、
それ相応の酷くて悲惨な結果が待ち受けているだろうし、
それは政権側による暴力的な弾圧を意味することになりそうだが、
肯定的な希望や期待から行動すれば、
自ずから理性的に行動できるのかもしれず、
たぶんその辺の微妙な分かれ目が、
今はかろうじて理性側に振れているのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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