文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.17 「隣人愛」

2015/09/18

この時代の記憶なんて後世には何も残らないだろうか。
ただありふれた人たちがありふれたことを主張しながら
うごめいているだけで、
何を残そうとしても、
それはありふれたつまらないものだから、
後世の人にとってはどうでもいいようなものでしかないかもしれない。
大衆文化とはそれ以上ではありえないものなのだろう。
だからと言って何もかもがくだらないわけではなく、
同時代の人にとってはそのほとんどが興味深く、
それが仕事であれ娯楽であれ、
得難い体験をもたらしてくれるのだろう。
後の時代には忘れ去られてしまうとしても、
その後の時代でさえ、
さらにその後の時代には忘れ去られてしまうような文化しか
持ち得ないだろうから、
現状がいかにひどい状況に感じられても、
何も卑下することはないのかもしれない。
人には他の動物にはない知恵があると言われるが、
その知恵が働くのは他の動物と同じように利己的になる時であって、
自分に利益がもたらされるにはどうしたらいいかを
考える時かもしれず、
他の動物の延長上に人もいるわけで、
人が他の動物と比べてなんら特別な存在ではないということだ。
たぶんそういう水準ではいつの時代も変わらず、
そういう水準でありふれた人たちが
利己的な動作を繰り返しているわけで、
そういうことをやっている人たちは忘れ去られる人たちなのだろう。
しかし利己的な動作以外に人がやれることがあるのだろうか。
それを意識しているにしても無意識にやるにしても、
何かの偶然が作用して
歴史に名を残す人もごく少数ながらいるのだろうが、
歴史に名を残したとしてもそれがどうしたわけでもなく、
そのような人物でさえ、
後世人たちによって都合のいいように脚色された
虚構の物語の登場人物となりがちだ。
要するにその人物の実像が忘れ去られて、
抜け殻に好みの色を塗られたような存在となるわけだ。
そして映画やテレビドラマや漫画や小説などで取り扱われて、
大衆の娯楽となって消費された後に使い捨てられる。
人はいつの時代も人によってそんな扱いを受け、
そんな扱いをしている人もろとも消費されて忘れ去られる運命だ。
それはそれで構わないのではないか。
忘れ去られないように記念碑だの記念館だのを建てて、
なんとかその人物の業績を後世に残そうとするのだろうが、
利己的に自分の贔屓の人物の記念碑だの記念館だのを、
金や権力にものを言わせて建てようとする輩が必ず出てくるので、
そういうのが流行ってその手のものが全国各地に乱立してしまうと、
すぐに陳腐化してしまうわけで、
そういう記念碑だの記念館だのが忘却の対象となってしまう。
要するに利己的な行為は、
ありふれて陳腐化してしまうから忘却の対象となるわけで、
いかに栄華や権勢を誇って、
金や権力にものを言わせて後世に名を残そうとしても、
大衆市民社会の中で生きている限りは、
何も残せないのかもしれない。
そういう意味では現代は古代の王権社会などとは違って、
そこで生きている人は社会的な立場や財産の有る無しに関わらず、
みんな平等に忘れ去られる運命にあるのかもしれない。

では現代人は何をすればいいのだろうか。
私利私欲に生きて現世の幸福を味わいつくし、
後世には何も残さずに死んでいけばそれで構わないのだろうか。
そういうことをやっている人も中にはいるだろう。
もちろんやりたくてもそれができないのが大半の人たちだ。
おそらく誰もがやりたいことができずに死んでゆくのだろうし、
途中であきらめてしまう人もいるし、
あきらめきれずに死ぬまでやろうとして、
できないまま死んでゆく人もいるだろう。
そんな中途半端な自分を肯定できる人もいるし、
いつまでも駄目な自らを卑下している人もいるだろう。
そして他人にとってはどちらでも構わないし、
他の誰が自分をどう評価していようと、
知ったことではないのと同様に、
直接利害関係のない他人がどうなろうと、
知ったことではないのかもしれず、
ただ自分に利益をもたらしてくれる身内の人が
必要なだけなのかもしれない。
他人に親近感を抱くとは、
その他人から利益を得られる場合に限られ、
それ以外の他人は知ったことではなく、
自分が気に入らないことを言ったりやったりする他人は
憎らしいだけだ。
そして自分と同じ主義主張の人たちと徒党を組んで、
憎らしい他人や団体を攻撃するわけか。
そこから先は好き嫌いが介在する感情の問題となるだろうか。
それも国民感情とかいう政治用語の範囲内なのかもしれないが、
そういう感情が絡んでくると、
理性ではどうにもならない心の領域が形作られていて、
主義主張の違う人が何を言っても聞く耳を持たず、
馬耳東風で言うことなすこと自分たちの価値観で事を進めようとして、
それを成し遂げるためには手段を選ばず、
場合によっては卑怯な手段を使ってでもそれを推し進めるから、
他の人たちには不快でたまらなくなるわけだが、
主義主張を同じにする自分の身内以外がどうなろうと
知ったことではないので、
そういう人たちにとっては自分たちを批判したり、
やっていることに逆らってくる人たちが不快でたまらないのであり、
結局は利己的な動作に凝り固まって
陳腐でありふれた人となるわけだが、
場合によってはそんな自分たちのやっていることを誇りに思い、
そんなことをやっている自分たちを愛し、
自分たちが所属する勢力や団体を愛し、
それが国家なら国を愛しているわけだ。
そういうのを集団主義とか全体主義とかいうのかもしれないが、
自分や身内を愛して敵を憎むその精神構造は、
資本主義的な利益追求型の精神構造と同じように、
人の動物的な本能に根ざしているものだろうか。
たぶんそれと対照的なのが、
敵対していたり無関係の他人を愛する隣人愛の精神だろうか。
そこには社会的な対人関係が介在していて、
敵対は共倒れを引き起こすという思考が働いているのかもしれず、
自分は損な役を引き受けても構わないから、
社会全体をより良い方向へと進化させたいのであって、
主義主張が違う人たちが
敵対しないで共存する社会の成立を目指しているのかもしれない。
もちろんそんなことを真正直に口にする人は、
利己的な人たちから馬鹿にされ嘲笑されるわけだが、
やはりそういう人はそんな自分を馬鹿にする利己的な人を含め、
隣人を愛しているのかもしれない。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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