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彼の声

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彼の声 2015.9.16 「主義主張の相対性」

2015/09/17

取るに足らないことかもしれないが、
それをおろそかにして物事を単純化する認識にとらわれていると、
過去と現在の微細な違いを見逃してしまうだろうか。
あるいは地域や場所による違いも見落としてしまうかもしれない。
だが一般論としてそんなことを述べても、
具体的な違う事例を示さなければよくわからないことは確かだ。
しかし違いがわかったところでどうなるのだろう。
世の中は単純化された論理や認識で満ち溢れていて、
いくら微細な違いを説明してもわかってもらえないのではないか。
誰もが理解可能な紋切り型的な論理や認識ばかりが蔓延して、
それらに洗脳されてしまった人たちが、
自動車工場の産業用機械のように、
入力された情報が脳の固定的な神経回路上で
決められた手順に則って処理されて、
その出力として同じような動作を繰り返しているわけか。
たぶんそうではないのだろうが、
メディアというフィルターを通して出てくる世論という名の集団意志は、
そんな論理や認識ばかりとなり、
それを真に受けた人たちがそう思い込んでいるだけではないのか。
もしかしたらそれも違うだろうか。
たぶんそうではないのだろうが、
ではなんなのか。
時間的あるいは歴史的または場所的な微細な違いなど、
ほとんどの人が理解し認識しているのではないか。
それらを理解し認識した上で、
それを言葉にすると単純化された論理となってしまうのだろう。
主義主張とはそういうものなのではないか。
そうしないと多くの人たちが同じ主義主張の下で連携し協力できない。
勿論それは単純化された主義主張だから、
いくらでも批判できるわけで、
実際に微細な差異をあげて批判してくる人などいくらでもいるわけだ。
そういう動作によって
世の中の政治的な動向は成り立っているのではないか。
単純な論理を掲げて大同団結して集団で行動する人たちがいる一方で、
それを微細な差異を持ち出して批判する少数の人たちがいる。
そのどちらが正しくどちらが間違っているわけではなく、
両者が相補的な関係にあるといえば納得できるだろうか。
表向きは対立しているのだろうが、
互いが互いの足りない部分を補い合いながら、
両者が存在していることで、
政治的な主義主張が成り立っているわけで、
状況を理解するには、
両者の言い分を重ね合わせてみればいいのかもしれず、
そうすることで現状の重層的な理解が可能となるだろうか。
しかしそれで何を具体的に理解すればいいのだろうか。
あるいは理解した上で何をどう説明すればいいのか。
その内容が単純や論理や認識となることはないだろうし、
微細な差異ばかり強調して、
単純な主義主張の下に集まって行動する人々を
批判することもないだろうか。
では何をどう説明すればいいのか。

すでに説明しているそれで構わないのではないか。
他に何も付け加えることはなく、
そういうことだと理解しておけばいい。
何か政治的な主義主張をしたりそれに賛同することは、
批判されることを覚悟しなければならず、
誰も批判できないような主義主張というのはあり得ない。
正しいと思っている主義主張の中には
必ず批判される要素が含まれていて、
それを批判する人が必ず現れ、
その批判に反論すれば論争へと発展するケースが多く、
そしてその論争が平行線に終わるケースもほとんどなのではないか。
論争を好まず平行線に至るのも嫌なら、
批判させておけばいいだけで、
批判者を放置したままでも大丈夫なら、
それに越したことはないわけだ。
今の日本の現状が概ねそうなっていて、
たぶん民主的な議会制度が確立していて
選挙が滞りなく行われている国なら、
そういう状況に至っていて、
独裁者や特定の政治勢力などが
武力を行使して政権を掌握している国では、
批判者の存在は民衆を反政府的な運動へと先導しかねないから、
弾圧の対象となっていて、
逮捕されたり身柄を拘束されたりするわけで、
世界的にそのような民主的でない国を
なくしていこうとする作用が働いていて、
アメリカをはじめとして欧米諸国が
それを先導していることになっているのではないか。
そしてそこに欧米諸国の特有の欺瞞が働いている
と批判することも可能なのかもしれず、
その欺瞞を告発する批判者も少なからずいるわけで、
ユダヤ金融資本による世界征服を主張する陰謀論者などが
その典型なのかもしれないが、
そのような人たちを逆に批判したり、
誇大妄想だと嘲笑して
相手にしないように仕向けている人たちもいて、
それも批判し合っている双方が相補的な関係にあり、
作用反作用の力を合わせるように、
両者の言い分を聞いておけば済むことになってしまうだろうか。
どちらも主張もある程度は正しく、
場合によっては事の本質的な部分を突いているかもしれないが、
ただそれを批判することも嘲笑することも可能なわけで、
実際に批判したり嘲笑したりする人も少なからずいるわけだが、
その批判や嘲笑している人たちの言い分が
すべて正しいのかというと、
どうもそうでもないように感じられるわけで、
それらの言い分も正鵠を射抜いている部分もあるかもしれないが、
別の部分では彼らが批判している人たちと、
同じような批判にさらされる可能性もあるようなことを
主張しているわけで、
とてもそのすべてを受け入れる気にはなれないような主張も
中にはありそうだ。
とりあえずすべての言い分は相対的でしかない、
と言ってしまえば身も蓋もないわけで、
本質を突いていたり正鵠を射ていると思う部分は、
受け入れておいた方がいいのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
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