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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.11 「タイミング」

2015/09/11

タイミングとはなんだろう。
何事かがうまくいかないと時機を逸していると思われるが、
うまくいくと時機を捉えた思うだろうか。
何をやるにもちょうど良い時があると思う反面、
外れていると思うことのほうが多いのはなぜだろう。
たぶんそれは手遅れにならないと気づかないからではないか。
そして手遅れになってから悪あがきを始めるわけか。
人は自分のやっていることを信じろと説く。
信じることが大切で、
信じてやり続ければ、
いつか必ずうまくいくはずだ。
そう思わなければやり続けられないだろうか。
何をやるにしろやり続ければいいというわけではなく、
やり続けるような成り行きとなればやり続けるしかないだろうし、
やり続けられなくなればやめるしかない。
自らの意志の力でや続けようとしても、
やめざるを得ないような事態に追い込まれたらやめるしかないだろう。
そのタイミングを見極められたり、
見極められずにいつまで経ってもやり続け、
人生を棒に振ってしまったと後悔するかもしれないが、
だからと言って、
何かをやったりやめたりするタイミングを見極められるか否かは、
実際にやったりやめたりしてみないことにはわからないだろうし、
結局はそこで勘が働くか否かということになるかもしれないが、
その勘を鈍らせる原因が、
勝手な思い込みや自らがやっていることに対する過信になるだろうか。
だがやっていることに対して自信がないよりは
過信しているように見えるほうが、
そのやっている人に好感が持てるし、
その人を信用できるだろうか。
そのやっている内容に
共感できるか否かのほうが大きいかもしれないが、
現政権のやっていることに共感できる人たちは政権を支持し、
共感できない人たちは批判し非難し糾弾しているのだろう。
確かにそういう次元ではそういうことかもしれないが、
別の次元ではどうなのだろうか。
政権のやっていることに日本特有の事情があるのだろうか。
たぶんそれを推進する側も批判する側も、
この国特有の事情を持ち出して、
それを理由にしてやっていることを正当化したり、
批判したりしているのではないか。
その特有の事情とはなんだろう。
それは日米同盟であったり平和憲法であったりするわけか。
そこに歴史的な経緯があり、
人々が信じている事情がありそうだが、
日米同盟にしても平和憲法にしても過信は禁物なのだろう。
そして国家に対する過信も禁物か。
もちろん歴史的経緯に対する過信も禁物かもしれないが、
何をやるにしてもどう判断するにしても、
やっていることもそれに対する判断も、
すでに時機を逸していて、
手遅れなのだろうか。
そうは思いたくはないだろうが、
仮に手遅れと考えるなら、
何に対して手遅れなのか。
例えばそれは戦争や経済恐慌に対してなのか。
どうもそこから先はありふれた冗談となってしまいそうだが、
他に何が考えられるだろうか。

単なる行政の枠組みとしての国家に、
おかしな思い入れや過剰な期待をしている人が多すぎるように思われ、
そのような国家主義的な思考が
世界的に退潮傾向にあるにもかかわらず、
やはり一部の人たちは国家権力を過信しているのだろうか。
そして何ができるわけでもないのに実際に何かをやろうとして、
やっているつもりになっているのが政治家だろうか。
現実に法案を審議して成立させようとしているわけだが、
たぶんそれで政治家としての仕事をやっていることになる。
それが国会議員としての職務であり、
内閣の仕事なのだろう。
それの何がおかしいわけではなく、
当然のことをやっているのであり、
そのような行為の何が問題なのでもない。
そのような行為の結果として
法案が成立したりしなかったりするのだろう。
ではそれ以外の何が問題なのだろうか。
それによって政治家が何かをやっているように見えることが問題なのか。
そしてその政治家のやっている内容に
国民が共感したりしなかったりすることが、
次の選挙結果に反映したりしなかったりすることも問題なのだろうか。
できれば法案に対する賛否が世論調査の結果と一致すべきで、
一致しなかった場合は
次の選挙で一致させるような投票結果になるべきで、
それによって民意が国政に反映していることの
証しとなるべきなのだろうか。
民主主義を信じている人たちは
そのような一致を実現させたいのではないか。
そして必ずしもそれが一致しないことに腹を立てている。
一致しなければ一致するような制度へと
変えるべきだとも思っているが、
それがなかなか変わらないことにも腹を立てていて、
何か変えるのを妨害している政治勢力の存在を感じ取って、
その政治勢力に対して敵意をむき出しているわけだが、
たぶんそういう事情や成り行きが、
政権に対する批判の原動力となっているのだろう。
だが果たして変える機会が今後やってくるのだろうか。
なかなかやってこないのなら、
国民がその機会を作らなければならないとも思っているらしいが、
そのような機運が盛り上がる兆しは一向に現れず、
数年前の政権交代の時がその機会だったかもしれないが、
そうだとすればすでにそれは潰え去り、
機を逸してまた以前と同じような、
人によっては以前よりもはるかにひどいと感じるような
状況になってしまったようだ。
そして現状で遅ればせながら
現政権に対する反対運動が盛り上がってきたものだから、
今度こそはこの機会をとらえて、
彼らが理想とする民主主義を実現させたいと思っているのだろうか。
果たしてそれらの運動の成果が次の選挙で現れるだろうか。
それ以前に現政権を退陣に追い込めるだろうか。
運動している人たちは
そうなることを信じてやり続けているのだろうが、
それが過信であって、
今回も時期を逸していたり、
すでに手遅れで、
あるいはそもそもそれが勘違いで、
その時機ですらなかったのだろうか。
結果がそうならそういうことになってしまうだろうが、
ともかく現時点では信じてやるしかないわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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