文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.9 「本音と建前」

2015/09/10

世の中には本音と建前があるわけではなく、
要するに本音があるわけだ。
建前では本音を取り繕えない。
何が本音なのかわかっていて、
あえて建前を信じたふりをするのが大人の態度だろうか。
互いに建前を交わし合い、
その場の会話が成立してしまうわけか。
そうすることが何の役に立つのだろうか。
あからさまな衝突を避けて、
その場を穏便に済ませる効果があるわけか。
でもそれで対立が解消することはなく、
本当に事態を進展させたいなら、
お互いに腹を割って話し合わなければならないのだろうが、
それには互いが互いを利用し合う覚悟がなければならず、
何か相手と共同作業をしなければならない状況に
直面している場合などがそれにあたり、
その必要がなければ、
建前だけの社交辞令に終始した会話で済んでしまうのだろうか。
それでも構わない場合の方が世の中では多いだろうか。
たぶんそれでは駄目というわけでもないのだろう。
人と人との関係は多様であって、
必ずしも本音で語り合える関係ばかりではなく、
建前に終始する関係もないとうまくいかなくなってしまうのだろう。
しかし本音と建前を意識して使い分けていると言っても、
両者の間に明確な区別があるだろうか。
もしかしたら述べているのこと何が本音で何が建前なのか、
あまり意識せずに言葉を繰り出している場合もあるかもしれず、
結局その場の状況に応じて言葉を選んでいて、
何か語っている時には、
それが本音なのか建前なのか意識せずに語っていたりするわけだ。
その場の状況と関係から、
発せられる言葉も人の意識も影響を受け、
それと連動して絶えず変化し続けているのではないか。
要するに人の意識の中で認識される本音と建前も、
その場の状況と関係から生じていて、
状況や関係が変われば本音や建前も変わってくる。
逆に言えば状況も関係も変わらず一定なら、
決まり切った本音と建前で通用する場が保たれる。
それでうまくいっている人たちは、
できればそんな場が保たれることを望み、
そんな状況と関係が不快に感じられる人たちは、
できれば不快な場が変わって欲しいと思うが、
その場にいないとまずい人たちは、
不快に感じつつも場を壊さないように建前と社交辞令に終始しながら、
なんとかその場を乗り切ろうとしているのではないか。
つまりそのような不快に思う人たちも含めて、
その場にいる人たちの関係が作り出す状況が、
そのような場を作り出していると言えるだろうか。
そして不快に思う人たちが声を上げない限りはそのような場が保たれ、
場が不快に思う人たちを苦しめることになり、
また声を上げて場を壊すにしても、
その場を保ちたい人たちとの対立が避けられなくなり、
時として勇気を必要として、
場合によっては苦渋の決断を強いられることとなりそうだ。

人は誰でも自分が心地よく感じられる場を求め、
それが手に入ったらその場をできるだけ長持ちさせたい。
ただその場というのが人によって異なるらしく、
その人が心地よく感じられる場が、
別の人にとっては耐え難い環境であったりするわけで、
その心地よい場というのが、
他の多くの人たちの犠牲の上に成り立っている場合などは、
やはりその多くの人たちによって壊されるべき場となるかもしれず、
壊そうとすれば
場を壊そうとする人たちと守ろうとする人たちの間で対立が生じ、
それが国家規模となると内戦や革命となる場合があるのだろう。
果たして日本の現政権が築き守ろうとしている場は、
一般の人たちにとっては心地よい場なのだろうか。
少なくとも反対の声を上げている人たちにとっては、
不快で耐え難いものと映っているのだろうし、
支持し守ろうとしている人たちにとっては、
心地よく快適に感じられる場なのだろうか。
そして本当にそれが偽らざる本音なのか、
あるいは場の状況に強いられて発せられている建前で、
必死で不快な状況に耐えているのだろうか。
それは社会的な立場や党派性や
主義主張によって異なるところかもしれないが、
最終的には不快に感じている人たちが、
どこまで場が作り出す状況に耐えられるかということになるだろうか。
もちろん場が心地よく快適に感じられる人が多数派なら、
政権に対する支持率も上がり、
反対運動も自然消滅するだろうが、
現状で反対運動が盛り上がりを見せていて、
運動に対する批判や攻撃的な糾弾や皮肉を込めた嘲りもあるわけだから、
それを無視できない状況にはなっているのだろう。
もちろんそれは反対運動で盛り上がっている場が、
不快で耐えがたく感じる人がいるからそのような反応が出てくるわけで、
そういう人たちはなんとかそれをやめさせたいわけで、
言葉による攻撃に出ているわけだが、
それが政権側による機動隊などを利用した
物理的な暴力の使用に至っていないのは、
やはりまだ世論を気にしている段階で、
全体主義国家のように
完全には民衆の支配を確立していない証拠であるわけだが、
もしかしたら彼らは民衆の完全な支配と制御を目指しているのではなく、
一部の急進派はそれを目指していて、
タカ派的な言動を内輪の集まりで口にしているのかもしれないが、
どうもそこまでは至らせない場の力があり、
人々の意識を超えた方向性が、
全体主義国家のような暴力を全面に打ち出した苛烈な支配ではなく、
柔軟でソフトな管理へと
国家統治のあり方がシフトしてきているのであり、
その表れがマイナンバー制度であったり、
民間でやっているTポイントカードであったりするわけだ。
あからさまな目に見える支配体制では、
もはや人々がその不快さに耐えられそうもないから、
なんとかそれと気づかせずに巧妙に人々の情報を管理することで、
あまり意識させずに制御したいわけで、
その人が気がつかないうちに統治する側に情報がもたらされ、
その収集された膨大な情報に基づいてデータ分析をして、
国家が人々を制御しやすいような方策を打ち出そうというわけだろうが、
そのようなやり方では
誰もが快適に感じられる場を構築するのは難しいかもしれないが、
国家から管理されることで不快には感じるが、
かろうじて建前や社交辞令を駆使して生活できる程度には
耐えうる社会をもたらすのだろうか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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