文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.7 「効果のない批判」

2015/09/08

たぶんそこに至るまでに様々な経緯や成り行きがあったのだろうが、
結果としてそうなってしまうことには納得がいかないのだろう。
だが今までに何が見出されたわけではない。
何も見つからないうちにあきらめてしまうわけにはいかないらしいが、
人をあきらめさせるように仕向ける成り行きがあるのかもしれない。
ネット上には理不尽なことを述べている人たちを
ひたすら批判している人たちもいるようだ。
そういう人たちは死ぬまで批判をやめないのかもしれず、
この先も延々と批判し続けるだろう。
そしてそれだけではだめなことも分かっているはずだ。
理不尽なことを述べても構わないような環境があり、
そのような環境が作り出される経緯や成り行きがあり、
述べても構わないような立場がメディア上で生じて、
そこでそういうことを述べても許される人物が、
そういうことを平然と述べて、
それを別のメディア関係者が批判し、
その批判を一般の人たちがネット上で拡散したがる。
そんな経緯と成り行きで、
ネット上に理不尽なことを述べている人を批判する文句が広まるわけか。
そして批判されているのはいつも決まって、
政府与党や維新の党関係者や右翼的な言論人となるわけだが、
決まり切った人たちがいつも決まって批判されているので、
そのような批判自体が、
批判の対象となっている人たちの言動や行動を
止められていないことは確実で、
止められないからこそ、
いつも延々と特定の人たちが批判され続けているわけだ。
そして批判の対象となっている人たちにとっては、
たぶんそんな批判などなんとも感じていないのかもしれず、
だから批判されるようなことを延々と述べていられ、
批判されるようなことをやっていられるわけで、
批判する人たちも別に批判をやめさせられるわけではないから、
それらの言動や行為を延々と批判できるわけだ。
要するに批判している人たちもされている人たちも現状を変えられず、
批判する側とされる側がどこまでもいつまでもそのまま共存可能な、
議論が一向にかみ合わない
平行線的な現状が延々と続く事態となっている。
それが平和な社会を長持ちさせる秘訣なのだろうか。
そういうことではなく、
ただそんな状況がここしばらく続いているだけだろう。
別に体制側が言論弾圧などしなくても政権を維持できるわけで、
批判したい人たちには延々と批判させておけばいいことが
わかったのではないか。
それで何がどうなるわけでもなく、
世の中がどう変わるわけでもない。
全ては批判という言葉の範囲内で行われていることで、
それ以外のところで何が変わるわけでもない。
そしてそれで構わないのであり、
批判をあきらめずに行っていればいいわけだ。
延々と繰り返し批判していても構わないのであり、
そうやって批判していることが全てなのだから、
他がどうなるわけでもないわけだ。
おそらく何も変わりようがないだろうし、
変わるとすればそれ以外のところから変わるのではないか。

ではどこから何が変わるのか。
それは思いがけないところから変わるのであり、
誰も気づかないうちに変わっているのかもしれず、
すでに世の中は変わりつつあるのだろうか。
誰も望まない方向に変わりつつあるのかもしれないが、
誰もそれに気づいてないのではないか。
それはその時代に生きている人たちには
気づきようがないことかもしれず、
あと何十年も経ってみて、
そこから過去を振り返ると
ようやく気づくような変化なのかもしれない。
だから別にこの時代に生きている人たちは
気づかなくてもいいわけで、
自分の信じることを主張し、
行動していればいいことでしかないのだろう。
その結果が理不尽なことを言っている人や
やっている人に対する批判であり、
反対デモであったり集会であったりしているわけなのだろうが、
それらの人たちが望まない方向へと変化しつつあるのだとしたら、
ではいったいそれはどのような変化なのだろうか。
そこで考え込んでしまうのだが、
同時代に生きている人たちには本当に気づけないのだろうか。
少なくともそれらの批判が批判として機能していないのは、
昔からそうだったような気がするのだが、
その批判に同調する人とそうでない人がいるのも
昔からだったような気がするし、
理不尽なことを言っている人もやっている人も昔ながらの人たちだ。
まさかそんな人たちが今や絶滅危惧種となっているのだろうか。
でも反対している人たちならともかく、
理不尽なことを言ったりやったりしている人たちは、
実際に政権を握っているわけだから、
世論調査での支持率もそれなりにあるし、
主要なマスメディアもそれらの人たちの味方なのだろうから、
世の中の主流派を形成しているのではないか。
たぶん変化しつつあるのは、
そういう政治的な主義主張に対する賛成や反対とは
無関係のところで起きていて、
具体的には少子高齢化社会に関することであったり、
原発事故の被害にあった人たちの間で起こっていることであったり、
ネットのSNSの中で起こっていることであったりするのかもしれず、
そこで関係する他人に対する配慮などに表れていたりして、
たぶんそれは当たり前のことが
理解できなかったりすることにあるのではないか。
同じことを延々と繰り返し主張し続けられると、
たとえそれが正しい意見であったとしても、
飽きてくるのであり、
場合によってはうんざりしてくる。
だがそういう人はそういうことしか主張できないということが
次第にわかってきて、
哀れみを感じさせられてしまうわけだが、
要するにそれは老人がネット上で街宣活動をやっているわけで、
右翼の街宣車が定期的に街中を巡回するように、
ネット上を定期的に巡回しているわけだが、
たぶんそういう同じ批判の繰り返しが
効果のないことを理解できないのだろう。
そして場合によっては正しい主張や批判も、
一般大衆には効果がないことも理解できないのではないか。
結局人々は内容の正しさではなくおもしろさを求めているわけだ。
しかもいくらおもしろおかしくても、
そんなことはすぐに忘れてしまうだろう。
では何を主張すればいいのだろうか。
たぶん誰も興味をひかないようなことを、
あるいは誰も同意や同調もしないことを、
適当にいい加減につぶやいていればいいのではないか。
場合によってはわざと間違ったことを主張しても構わない。
人々はもはや他人にことさら無理に同意や同調しなくても構わないわけで、
それに気づいていないが、
実際にそう振る舞っているわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
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