文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.9.3 「資本主義と暴力」

2015/09/04

現状で何が起こっているわけでもない。
何も起こっていないわけではないが、
紛争や内戦によって
特定の国や地域が深刻な荒廃を招いているとしても、
昔からそういう国や地域はありふれていた。
大勢の人たちが死傷したり、
家や財産を失って路頭に迷っている状況も、
昔から繰り返されてきたことだ。
では昔と違って何か目新しい事態は起こっていないだろうか。
例えば特定の思想や哲学や宗教では
世の中が変わらないことがはっきりしたのは、
それほど目新しいことでもないか。
そんなことも昔からわかりきっていたことだろうか。
では人々は何に救いを求めたらいいのか。
いつの間にか救いのない世の中になってしまったわけか。
別に誰が何を救うために何をやっているわけでもないのも、
昔からそうだったかもしれず、
そんなわかりきったことなら誰もが知っていることだ。
ではいったい人々は何をやっているのだろうか。
ただ生活しているだけか。
言葉でそういえばその通りになってしまうのも、
わかりきったことなのだろうが、
わかりきっていないことも中にはあるのかもしれず、
その誰もわかりきっていないことが、
将来の見通しだろうか。
過去のことなら調べればある程度はわかるし、
歴史書でも読めば少しは過去の歴史に詳しくなるのではないか。
だがそうしたところで何の役に立つのだろうか。
歴史について語れるようになるだけか。
身についた知識を生かすのはそれについて語る時だけだろうか。
過去の事例を参考にしながら、
将来を予想したりするのもよくある活用法だ。
そんなこともわかりきったことのうちに入るだろうか。
そんなわけで人々は全く新しい事態に
どう対処すればいいのかわからない。
別に対処しようとしなくても、
自然に対処しているのかもしれず、
生き続けていること自体が、
日々新たな事態に対処していることの証しとなっているのではないか。
そしてそれもわかりきっていることの範疇に入ることだろうか。
もちろん死ぬこともある種の対処法であり、
あたらな事態に対処しなくても済むやり方なのだろう。
また既存の思想や哲学や宗教なども、
日々を生き抜く方法を人々に教えているわけだが、
それらはどうしても一定の思考の型にはめて
対処するようなやり方だから、
融通や応用が利きづらいという欠点でもあるのだろうか。
それらも歴史と同じように過去の知恵に属するので、
想定外の状況にはお手上げだろうか。
それでも強引に型にはめようとすると、
宗教的な原理主義に行き着くらしく、
自分たちの主義主張に合致しないものは
強制的に排除しがちになるようだ。
イスラム国がシリアの古代パルミラの遺跡を破壊したり、
過去にはアフガニスタンのタリバンが
バーミヤンの大仏を爆破したこともあった。
自分たちの主義主張を実現するためなら、
人は殺すし物は壊すし、
暴力的な手段に訴えるのが宗教的な原理主義の特徴だろうか。
だが中には非暴力の原理主義というのもあるのではないか。

世の全ての考えや行為を非暴力に結びつけて、
少しでも暴力につながるような考えや行為を厳しく戒め、
そのような考えや行為をする人や団体を決して許さず、
延々と非難し糾弾している人や団体があれば、
それは非暴力の原理主義思想の持ち主と言えるだろうか。
そうやって何か一つの行為や思想に凝り固まるのは、
人の習性としてよくあることなのだろうか。
果たしてそれだけで大丈夫なのかどうかはわからないが、
どうもそういう主義主張の人も中にはいるようだ。
頭の中で正しい行為や思想を求めているようで、
何が正しく何が間違っているかを判断する基準が
一つしかないのかもしれないが、
世の中にいる全ての人がその正しい行為をして正しい思想を持てば、
確かに世界は平和になるのかもしれないが、
様々な人や団体が利害関係から対立している現状がある限りは、
正しい行為も思想も一つではないということだろうし、
また逆に例えば金儲けという行為がただ一つの正しい行為だとすれば、
その正しい行為を巡って
様々な人や団体が競い争う現実が生まれているわけで、
その正しい行為によって人々が対立して争うのだとすれば、
世界平和は永久に訪れないことになりはしないか。
そうなると世の平和を乱す金儲けという行為は間違った行為であり、
金儲けが正しいと思っている拝金教徒を、
厳しく非難し糾弾しなければならなくなるだろうか。
たぶんそうではなく、
暴力を用いて他人から金を奪ってはいけない
という当たり前の主張で事足りるのだろう。
では金儲けの暴力性というのはどこまでが許せる範囲内なのか。
例えば自動車製造企業が、
下請けの部品工場に部品の値引きを要求するのは、
どの程度まで許されることだろうか。
その工場が倒産しない程度に値引きを要求するのは、
暴力的な金儲けの範疇に入るのか入らないのか。
下請け工場を利益がほとんど出ないような
生かさず殺さず程度にしておくことが、
良心的な企業経営だとしたら、
それは直接の暴力とは種類の違う
巧妙で間接的な暴力だと言えないだろうか。
そしてどこかでそういうしわ寄せが来ないと
利益が出ないのだとしたら、
やはりそれは金儲けの暴力性だと言えないだろうか。
全世界が金儲けの資本主義経済で覆われているのだから、
現状では金儲けが成り立っている一方で、
どこかにそのしわ寄せが来ていることは確かで、
しわ寄せが極まると
直接の暴力で逆転を狙うように追い込まれてくるのではないか。
その簡単な例が
金に困ってコンビニ強盗をやらかす人などがいるわけだが、
その大げさな例が戦争なのではないか。
内戦が泥沼化しているシリアなど、
アサド大統領の出身部族が国の要職を全て独占して、
経済的な利益も独占していたそうだから、
他の大多数の人たちの不満が爆発して民主化要求デモとなって、
それを容赦なく弾圧した挙げ句の果てなわけだろうし、
エジプトでも軍人出身の政治家と
軍や政府の役人たちが癒着して
経済的な利益を独占していたから、
民主化要求デモとなって、
一時的にそれが成功して独裁体制が崩壊したかに見えたが、
今度は宗教的な原理主義政党の党首が大統領に当選したものだから、
民主化勢力が後退して民主化が遠のいて、
そして民意が離れた隙をついてまた軍がクーデターを起こして、
軍人出身の大統領が誕生してしまったわけだ。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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