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彼の声

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彼の声 2015.8.26 「無責任な立場」

2015/08/26

現状では雑に考えるしかないが、
相変わらず明確なことは何も言えないようだ。
いったい何について語る気になっているのか。
問いは語るきっかけには必要かもしれない。
何を問われているとも思えず、
問われなくても勝手に答えようとしているのかもしれないが、
つじつまの合う説明には違和感が伴う。
なんとでも勝手に主張できるわけではないが、
その主張は正しい主張であり、
その正しさを説明することもできるし、
主張している自らを正当化することも可能だ。
要するに正しいことを述べてもなんでもないのであり、
もちろん間違ったことを述べれば、
論争しているのであれば糾弾されるかもしれないが、
ただ述べているだけでは間違ったことを述べてもなんともならず、
いくらでも勝手なことを述べられる。
そして何が正しく何が間違っているかの基準は、
述べている当人が決めればいいことでしかない。
それではらちがあかないから、
人は権威にすり寄り、
その道の権威と同じようなことを述べようとするわけだ。
そうすれば自分と同じようなことを述べている大勢の人の存在を知り、
ひとかたまりの思想的あるいは政治的な勢力に入ったことを
自覚できるのではないか。
そしてそんな自覚とともに、
その派閥の価値観に照らし合わせると、
自らが正しいことを述べていることにも気づくわけか。
人が思考し主張できるのはその程度のことだろうか。
その程度のことが重要なのだろうし、
その程度と軽んじるべきではなく、
ある一定の価値観に基づいた意見の集約や合意の形成には、
そのような派閥的な集団の役割が重要となってくるのかもしれない。
そしてそれ以外に何が主張できるのだろうか。
勝手なことならネット上でいくらでも主張できるが、
特定の派閥や勢力に属していなければ無視されるだけか。
しかし特定の派閥や勢力に属している人の主張は、
みんな似通っていて、
ありふれた紋切り型的なことを主張しているに過ぎず、
そのような主張を
同じ派閥や勢力に属している人の間で共有しているだけか。
それを否定できないだろうし、
そのような現象を否定的に捉えるのはやめたほうがよく、
そればかりではないと考えておいたほうがいいだろうか。
では他に良い面があるのだろうか。
多くの人が寄り集まって力を合わせて
一人ではできないことをやれるという利点があるだろう。
そのためには多くの人が合意できるように
最大公約数的な意見の集約をやらなければならず、
他の人たちが迷惑を被るような好き勝手なことは主張できず、
その場に集まった人たちで相談して討議を行い、
共通の価値観に基づいた行動や言動を決める必要が出てくるだろうし、
そうやって派閥としての活動の方針を明確にして、
集団の内部で合意を取り付けなければならないわけか。

そうやって活動方針を決めた集団が、
集団として活動し始めると、
社会の中で何が起こるのだろうか。
派閥や集団同士で連携や連合や抗争が起こるわけか。
たぶん現状がそうなのだろう。
現状は何がどうなっているわけでもない現状であり、
また常に何かがどうにかなり、
あるいはどうにかなろうとしている現状があるわけか。
多くの人たちが支持され大きくなる集団もある一方で、
支持されずに消えてゆく集団もあるだろう。
もちろんそれもどうしたわけでもなく、
それなりに栄枯盛衰があるだけのことでしかなく、
それらの何が本質的な問題であるわけでもない。
では何が本質的な問題なのか。
多くの人が集団の内部で
特定の主義主張に凝り固まることの弊害だろうか。
凝り固まらずに時には集団を離れて、
臨機応変で柔軟な対応をとることが求められているのだろうか。
それでは集団としてのまとまりが薄れてしまい、
集団にとってはそのほうが弊害となるだろうか。
そう都合よく集団としてまとまったり、
集団から離れて臨機応変な対応などとれるわけもなく、
むしろ集団としてまとまった行動が求められる時にはまとまらず、
逆に集団から離れて臨機応変な対応が求められる時には、
集団として凝り固まってしまって柔軟な対応ができず、
適切なことをやる機会を逃してしまう傾向にあるだろうか。
しかし集団としてまとまらなければならない時とか、
集団を離れて臨機応変な対応が求められる機会とか、
その機会や時が到来したのを
どうすれば知ることができるというのか。
ただ機会や時を逸してしまってから、
あの時こうやればよかったと後悔するだけなのではないか。
後から知ることができるだけなら、
なんともしようがなく、
機会や時を逃そうと逸しようと、
どうしたわけでもないのではないか。
ではただなるようにしかならないということだろうか。
それでは意味のないことか。
現状でそれらの集団が何をやる機会に直面しているのだろうか。
政府や議会与党のやり方に反対している集団が、
反対運動をやる機会に直面していて、
実際にデモ行進をしたり反対集会を開いているのではないか。
そしてそれが一定の成果を上げていて、
運動が盛り上がっている最中なのだろうか。
彼らはそれ以外にやることがないのだろうか。
たぶん他の集団にも属していて、
例えば学生は大学や高校に属していて、
労働者は会社などの企業に属していたり、
公務員は役所などの行政機関に属していたりするわけか。
そして政治家は政党に属していて、
評論家やライターなどは執筆している雑誌や
ネットメディアなどに属しているわけか。
それ以上に何が明確になっているわけでもなく、
はっきりしたことは何も言えないのかもしれないが、
別にそれらの集団に敵対していなければ何を言う必要もないし、
敵対勢力や批判者が何を言っていても、
とりたてて興味がなければ耳を傾ける必要もないのだろうし、
賛同する気にも批判する気にもなれなければ、
ただ見守っていればいいことでしかないわけだ。
無理に賛成反対の意思を鮮明する必要はなく、
どちらの勢力に入る必要もない。
そしてネット上で無責任なことを勝手に主張していても
構わないのかもしれず、
そんな自らを正当化しなくても構わないのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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