文学

彼の声

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彼の声 2015.8.21 「会話の不都合と不合理」

2015/08/22

何を偽装しているのだろう。
目的が不明だろうか。
巷で流行っている政治的な言説に惑わされているのではないか。
ありふれた言説と論理に意識を引っ張られ、
それについて語っている現状がありそうだ。
意図も思惑もなければ偽装でもなんでもないのではないか。
状況を面白がって楽しんでいるのだろう。
そうでもしなければやっていられないか。
まともな人間は誰もそこにはいないのだろうから、
一人芝居の最中かもしれず、
その場に大勢の人がいるにもかかわらず、
一人で妄想にふけっているのだろうか。
そんなはずはないだろうし、
ちゃんと会話していると思っているのではないか。
そしてその会話が成り立っているか否かは、
物事の捉え方によって異なるだろうか。
ありふれた見解を弄する人たちには、
会話が成り立っていないように思われるかもしれないが、
言葉による受け答えという会話がもたらす動作が
成立しているわけだから、
たぶんそこで言葉が交わされているのだろうし、
それを会話と呼んで差し支えないのかもしれないが、
多くの人たちは、
それが誰にでも理解可能な
ありふれた会話でないと気が済まないのであり、
目の前で理解不能な会話をされると
自分たちがバカにされたような気になって、
ムキになって怒りだし、
なんとか自分たちが理解可能なありふれた会話が行われるまで、
会話の当事者たちを批判し続けるのだろうか。
批判し続けることによって、
会話に引き込まれることに抗っているのかもしれず、
なんとか平常心を保ちながら、
会話とは認められない会話によって、
乱されてしまった自分たちのペースを
取り戻そうとしているのではないか。
だから必死になって批判を繰り返して、
言葉が通じてしまうのを阻止するわけで、
聞く耳を持たない態度を維持しようとするわけか。
要するにそれも一つの会話とも言えるわけで、
聞く耳を持たない態度という会話の形態なのではないか。
無視しながらも言葉が
無視されている側からしている側へと受け渡されていて、
ある人物から言葉が発せられて、
その言葉を受け止めた側が無視という態度をとりながらも、
それが言葉を受け取った合図となっていて、
何も応答するべきでないという判断によって答えているわけだ。
そしてその種の言葉の受け答えによって勝利したのは、
無視しながら負けを認めようとしない
聞く耳を持たない人たちではなく、
言葉を発してそのような対応を導き出した側にあるのではないか。
だから言葉を発し側が
聞く耳を持たない態度を勝ち取ったことになるわけだが、
それは形式的な勝利であって、
実利を得られない仮想の勝利だとも言えるわけで、
そのままでは利益にありつけず、
最悪の場合は勝利を手にしながら死んでしまうのかもしれず、
だから聞く耳を持たない状況を作り出しただけではダメなのだろう。

ではどうすればいいのだろうか。
多数派の論理におもねって、
誰もが理解可能なありふれた会話の土俵に上がればいいわけか。
戦略的にはそうだろうし、
ありふれた会話の土俵に上がって、
まともな会話に磨きをかけ、
語りに説得力を増して
多くの人たちの関心をひきつけなければならない。
そうやってできるだけ多くの人たちを味方につけて、
自分や自分が属している勢力を
大きくして行かなければならないだろうか。
勢力を大きくするには、
その勢力に入れば
実利を得られるようにしなければならないだろうか。
たぶん普通の政党や軍隊や企業や宗教教団から
非合法な武装テロ集団まで、
おおよそ人が集まって組織的な集団が形成されるのは、
そこに入ると実利が得られることに起因しているのだろうし、
何も得られないのに
人が集まって団体や集団が形成されることはないのかもしれず、
自分を利する何かを求める目的で
人は寄り集まって集団を形成する。
その求める何かとは精神的な安心感でも金銭でも、
求める目的に応じて入るべき集団が違うのだろうし、
一人で得ようとする物や情報の目的に応じて
複数の様々な集団に入っている現状があり、
それと意識せずに多種多様な集団に同時に入っていて、
そのうちのどれか一つだけを優先するわけにはいかず、
複数の集団を同時に操るバランス感覚が大事なのかもしれない。
要するに利益を得られる先を複数持っていれば、
その中のどれか一つがうまくいかなくなって消滅しても、
その巻き添えを食らって被害を被る割合も減ってくるから、
戦略的にそのようなやり方を取っている人が
世の中の大多数なのかもしれない。
人は社会の中で生き続けていると
自然とそのようなやり方を身につけるわけで、
そのような事情を考慮に入れないで、
一つの集団に身も心も捧げ、
他の誰よりも集団に対する忠誠心が強いことを誇りに思うようでは、
その集団にいいようにこき使われて、
用済みになったら使い捨てられることにもなりかねず、
狂信的に特定の集団を信じてはならないのは、
生きるための知恵として
肝に銘じておくべきことなのかもしれないが、
集団としては逆に使い捨て可能な信者を必要としていて、
分け前として信者に与える利益は
なるべく少ないに越したことはなく、
分け前を減らしてその分内部留保として蓄えておけば、
いざ集団が存亡の危機となった時に
日頃の蓄えが物を言うわけだから、
できれば少ない分け前でも
身を粉にして集団のために働いてくれる狂信的な信者が
多くいれば助かるわけで、
そのためには日頃から信者たちに洗脳を施しておかないとならず、
集団のために命を投げ出すような人材を欲しているのだろうから、
例えば国家という集団にとって欠かせないのは、
国家の繁栄のために犠牲となってくれる国民の存在であり、
国家はそのような国民を育成したいわけで、
そのためには愛国教育という洗脳が必要となってくるのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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