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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2015.8.14 「平和への道」

2015/08/14

現状をこうだと決めつけても、
確信を持てないとなると、
それはいい加減で根拠の薄弱な決めつけでしかないだろうか。
現状に対する認識に確信を持てないまま、
やはり現状について何かを述べようとして、
あれこれ考えをめぐらしてみるが、
現状の何がおかしいとも思えず、
極めて自然な状況の推移を感じていて、
別に何がおかしいとも思えないのではないか。
何か通常とは違うことが
起こっているわけでも行われているわけでもなく、
当たり前のことが当たり前のように行われているだけかもしれない。
そしてそれについて何か違和感を抱いているわけではなく、
ただ普通に接していて、
興味がなければ傍観している。
そこではそんなことが繰り返されているのかもしれないが、
そことはどこなのか。
この世界の全てがそうなっているのだろうか。
そんなことはわかりきっているのではないか。
何もわかっていないのにわかっているふりをしたい。
それだけのことなのだろうか。
何かを知っていると信じたい。
それが信じられないのだろうか。
例えば世界中で原発が稼動中なのだから、
日本だけ止めて見ても意味がないか。
それでもまずは日本だけでも止めないと、
他でも原発を止めようとしている国もあり、
実際に原発を止めた国もあるのだから、
そういう国の人々と連帯する意味でも
止めないとならないだろうか。
実際に反対運動している人たちは止めようとしているわけだ。
止められるかどうかはわからないが、
止めようとして反対運動をしている。
別にそれの何がおかしいとも思えず、
実際に事故が起こって多くの人が迷惑を被ったわけだから、
それが極めて自然な状況の推移なのだろう。
別にそういう運動自体に違和感を感じているわけではない。
だが一方で原発を再稼動させたい勢力があり、
原子力産業に携わっている人たちや、
その恩恵を受けてきた人たちはどうしても原発を再稼動させて、
早く元どおりに産業を立て直して、
以前のようにそこから恩恵を受けたいわけだ。
これも極めて自然な状況の推移だろうか。
そして原発に反対する勢力が政治的に優勢になれば、
原発を止める方向に状況が推移するかもしれないが、
現状では原発を推進している勢力が政権を握っているので、
実際に再稼動にこぎつけたわけで、
再稼動した原発に不具合や故障や事故などが何も起こらなければ、
さらに多くの原発が再稼動するような成り行きとなるのかもしれず、
この先どうなるかは今後の状況次第なのだろう。
原発に反対している勢力が政治的に勝利して政権を握るか、
また巨大地震でも起こって取り返しのつかない事故でも起これば、
原発を止められる可能性が出てくるということか。
そんな当たり前の予想が何の役に立つとも思えず、
それが今後に起こる可能性の全てだとも思えないが、
普通に思いつくのはそんなことでしかなく、
どうせそんな当たり前の予想など外れて、
思いがけない結末が待っているのだろう。

これから何が起ころうとも、
実際に体験することの中には、
思いがけない出来事が含まれるのだろう。
予想通りとはならないのだろうし、
予想通りだと感じても気づいていないこともあるのかもしれない。
また思いがけない出来事に期待しても裏切られるだけで、
期待が忘却に変わった頃に、
不意打的に思いがけない出来事が起こって、
期待を裏切る形でそれが起こるので、
落胆したり不快に感じたりするわけだ。
だがそれが何を意味するわけでもなく、
自意識とは無関係であったり、
まったく無視されているように思われるので、
腹立たしく感じられることもあり、
そんなことが重なると
何もかもがうまくいっていないように思われ、
精神的にうつ状態となって、
ひどく落ち込んでしまうのかもしれないが、
それでもそんなことはなんでもないのかもしれず、
現状に対する勘違いや思い違いの一部でしかないのかもしれない。
そう思っている時点で
内面的な世界で思い込みのフィクションと戯れながら、
独りよがりの悪循環に陥っているのかもしれず、
身の回りの現実を把握できなくなっているのだろうか。
そうであったとしてもなお構わないのかもしれず、
それでも生き続けている限りは、
絶えずなんらかの出来事に遭遇し、
それに対処するために何かやっているわけだ。
過去の対処の不手際を今更反省しても遅く、
今対処していることで精一杯で、
現実に対する精一杯の対処に追われているうちに、
時が無情に過ぎゆき、
気がつけば何もかもが終わっていて、
もう手遅れなのかもしれないが、
それでも生き続けている限りは、
巻き込まれている現象の中で現実に対処しながら何かをやっている。
それがやっていることの全てだとは思いたくないが、
それ以外に何ができるだろうか。
将来の可能性を模索しながら、
都合のいい未来でも妄想しているわけか。
来たるべき世界は
いつもご都合主義的な理想との落差から生じるものだろうか。
将来へ希望の持てる社会を構築するために、
人々は今を生きながら絶えず善処しようとするわけだが、
その善処の仕方が人によっても、
その人が所属する勢力によっても違ってきて、
対立しあう人や勢力では正反対のことをやろうとする傾向にあり、
それが様々な問題や紛争を引き起こしているわけだが、
その対立を利用して自らや所属する勢力の利益を確保することが、
さらなる問題や紛争を引き起こして、
そういうやり方の累積が最終的には戦争へと至らせるのかもしれず、
結局はそのような対立の解消こそが、
社会の中で生きている人々に課せられた課題であり、
知恵を絞って対立を解消しようとする努力の積み重ねが、
戦争を回避して平和をもたらす唯一の道なのだろう。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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